三浦春馬氏の不自然死と報道の闇
三浦春馬氏の不審死に関する以下の3つの記事においては、社会の問題を考えるための一つの具体例として扱いました。
- 三浦春馬氏は自殺か他殺か
- 捜査機関による犯罪統計の偽計疑惑とテレビ報道を呪縛する放送法の問題
- 三浦春馬氏の死因が究明される可能性
- 死因究明制度の変革最終段階において、三浦春馬氏のケースが提起した問題
- 三浦春馬氏の遺憾
- 「社会の問題」に対し、三浦春馬氏のケースがインパクトを与える可能性
この記事では、三浦春馬氏の自殺報道を整理し、証拠を評価し、ささやかな推理を加えることにした。なお、この手順に、推理の裏付け捜査を加えれば、警察の捜査手順と同じだ。つまりこの記事は、告発への繋ぎとして機能するように作成しました。ただし、告発は、恐ろしく敷居の高い制度、あるいは、上辺を取り繕うための制度なので、安易に期待はしないほうがいい。
告発は、刑事訴訟法239条1項に「何人でも、犯罪があると思料するときは、告発をすることができる。」と規定されている。ただし、その条文を読んで一般の人がイメージするものと、現実は大きく異なる。
犯罪の疑いがあるものに対し、第三者がするのが告発、被害者や告訴権等がするのが告訴である。しかしながら、告訴も告発も、検察に提出しようとすると「警察に行け」と言われる。仕方なく、警察に提出しようとしても、決して警察は受理しようとしない。刑訴法第239条に「告発をすることができる」という規定はあるが、告発を受理する義務は規定されていない、というのが警察が受理をしない理由だ。
それゆえ、警察に告訴・告発を受け取ってもらうには、弁護士を頼らざるを得ないこととなる。弁護士に頼んで受理されたとしても、公訴が実現するとは限らない。それゆえ、告訴・告発の合計件数は、全国で年間10,341件にすぎない。
- 法務省webサイトからドリルダウンすると…
※犯罪白書の下書きのような分けのわからないpdf。そこに告訴・告発の件数は記されていない。
ちなみに犯罪白書には、告訴・告発の件数は記されていない。書いてあるのはwikipedia告訴・告発の頭書き程度の内容だけだ。
- 検察 統計で検索すると、次のページが筆頭に表示される。
そこにあるのは、時代おくれのxmlファイル。まるでバイトの事務員が自分用にまとめた程度の貧相な体裁だ。
- さんざん調べてやっと見つけた告訴・告発の統計は、e-Stat(政府統計の総合窓口)に格納された2017年の調査結果であった。
エクセルをダウンロードすると、これまた体裁がひどい。PCのできない上司の顔色を窺うあまり、ネットでデータとしてダウンロードした後のことを考えないで作成されたファイルだ。上司は、印刷したときの体裁ばかり指摘するから、項目のタイトルの文字間がスペースで帳尻あわせされている。
なお、検察審査会も、告訴・告発と同様に、検察官が独占する公訴権(起訴をする権利)を民主的に補うための制度である。警察を管理していることになっている公安委員会よりはマシだ。しかしながら、検察審査会は、民主主義の上辺を取り繕うためのものである。
虚構システムの罪
立派な大義を掲げる〇×委員会や※#△委員会は、多くが形骸化しており、存在目的のための効果など殆どない。それをひとつひとつ説明しながら進めると、恐ろしく冗長になってしまう。そして、その道を究めようとする人以外にとって、つまらない内容となってしまう。かといって、説明しないと、〇×委員会の存在自体が、大義のために有効であるかのように錯覚してしまう。そうした虚構のシステムに惑わされないために、断定的な言い回しに留める場合があります。
犯罪死の見逃しを防止するための基本
三浦春馬氏の不審死を個別具体例として扱う前に、殺人事件一般の統計に基づく傾向を確認したい。
殺人の被害者と被疑者の面識率は、およそ9割
まず、犯罪死の見逃しを防止するために、殺人事件の傾向を整理しよう。
上の図は、2017年の警察統計から作成した。殺人の被害者と被疑者との面識率がおよそ9割であることを示している。つまり、殺人事件のほとんどが、顔見知りによる犯行なのである。
このことは、殺人事件において、家族や勤務先が、真っ先に捜査対象とされるべきであることを示している。
三浦氏のマンションに入った警察官は、本来、何をすべきで、実際、何をしたのか?
現場に来た警察官に犯罪死の見逃し防止に関する意識がある場合
もし、現場警察官に犯罪死の見逃し防止に関する意識があったなら、第一発見者でもある勤務先の関係者、つまり三浦氏のマネージャーを筆頭とするアミューズのスタッフらに対し、詳細な状況確認をしているはずだ。
とりわけ確認が大事な状況は「マネージャーが鍵を開けて室内に入室した時間」である。基本中の基本の情報なので、警察官がこれを聞いて書類に記録しないことはあり得ない。あり得ないことがもしもあったとしたなら、よほど仕事ができない警察官であったか、あるいは、警察側に “特別な理由” があったことを想像するしかない。
現場に来た警察官に犯罪死の見逃し防止に関する意識がない場合
首吊り状態で発見された事案の現場において、警察官は机の引き出しを開いて遺書を探すような、ものものしい作業はしない。三浦氏のマンションにいたアミューズの関係者に「自殺の動機に心当たりはありますか?」といった程度の質問を行ったはずだ。もし、アミューズの関係者が自殺を伺わせる何かを示せば、警察官は、それを自殺を裏付ける物証として扱う。
遺書の存在を警察にそそのかしたのはアミューズか
初期に報道された「遺書」「遺書のようなもの」「遺書とみられるもの」のうち、少なくとも「警視庁関係者」と「捜査関係者」をネタ元とするものは、この時にアミューズの関係者が警察官に示した内容であると断定してよいだろう。なぜなら、その警察官でなければ、メディアが「遺書」「遺書のようなもの」「遺書とみられるもの」と記した速報の取材源になり得ないからだ。
三浦春馬氏の不自然死を自殺として配信した記事
次に、各メディア自殺報道の推移を評価するため、報道の一部を時系列にリスト化した。
問題の本質に迫るために大事なこと (追記 2021.5.6)
Twitter上において、三田警察署に電話して “(警察はマスコミに)自殺とは言っていない” と聞き出し、それを以て、「マスコミが勝手に自殺を報道した」と盛んに主張している複数のアカウントが存在する。これは問題の矛先を警察ではなく、マスコミに向けようとするものだ。
しかしながら、事件ネタを握る警察は、マスコミをコントロールできる立場にある。一方、記者の本分は、警察をはじめとした取材源の情報に、憶測を加えず記事を書くことにある。つまり、マスコミが事件ネタを商品化するプロセスにおいて、警察は、マスコミに商品の原料を無料で提供する立場にある。とうぜん、警察はマスコミの優位に立つ。
なお、警察の事件ネタの多くは、記者クラブを通じて提供される。他社に先んじてネタを掴みたい記者は、夜討ち朝駆けで警察官との接触を試みたり、個人的な関係を構築して、特ダネを得ようとするものである。そうした警察と報道機関との密な関係が続いた結果、多くのニュースが、警察官による情報漏洩(リーク)をネタ元としている。
リークが非公式であるがゆえ、一般の人が警察に「三浦春馬さんが自殺したと発表したのですか?」などと聞いても、まともな回答が得られる訳がありません。
それから、情報を提供する側も、報道する側も、断定を避けようとするものである。リークした警察官は、「首吊り」「遺書」を(その時点における)事実としてリークしても、「自殺」は、単に警察の方程式(首吊り+遺書=推定自殺)によるものなので断定するはずがありません。マスメディアが「自殺か」と書くのも、断定を避けるためである。「自殺」と書けば断定となるが「〇〇か」や「○○!?」とすれば断定にならないのである。
次の表中「記事の主語」が示すのは、ネタ元が誰なのかであり、捜査関係者と警視庁関係者は、ネタ元が警察官であることを示している。
記事の内容は次のとおり。
配信日時 | 作成者 | 記事の主語 | 午前中の状況に関する報道内容 |
---|---|---|---|
7/18(土) 15:04 |
日テレニュース24 | 関係者によりますと、 | 18日午後1時頃、東京・港区の自宅で、俳優の三浦春馬さんが、首をつっているのが見つかり、搬送先の病院で、死亡が確認されました。自殺とみられています。 三浦さんは18日、仕事の予定でしたが、仕事場に現れず、関係者が自宅を訪れたところ、死亡しているのを発見したということです。 |
7/18(土) 15:37 |
NHK | 捜査関係者によりますと、 | 18日午後、東京・港区のマンションの1室で俳優の三浦春馬さん(30)が、首をつった状態で見つかり、搬送先の病院で死亡したということです。 三浦さんが仕事に来なかったことから、部屋に迎えに行った所属事務所のマネージャーが発見し、110番通報したということです。 |
7/18(土) 15:54 |
デイリースポーツ | 関係者への取材 | 三浦さんは17日までドラマ「おカネ-」の撮影に参加。この日朝から連絡がつかなくなっており、行方不明状態だった。このため、18日の撮影は中止となっていた |
7/18(土) 17:45 |
週刊新潮WEB取材班 | 警視庁関係者によると | 「18日午後、東京・港区のマンションの1室で、クローゼットの取っ手にヒモのようなものを結び、そこに首を引っかけた状態で亡くなっていたそうです。仕事現場に現れず、連絡が取れないことを不審に思った三浦さんのマネージャーが部屋を訪れて発見。部屋の中からは遺書のようなものも見つかっていると聞いています」 |
7/18(土) 18:30 | デイリースポーツ | 不明 | 18日もロケの予定だったが、朝から連絡がつかず、スタッフらが心配していた。ロケは中止となっていた。 |
7/18(土) 18:47 | ANNニュース | 関係者によると、 | 三浦春馬さんは午後0時半ごろ、港区の自宅マンションで首を吊った状態で見つかった。三浦さんは意識不明のまま病院に搬送されたが、その後、死亡が確認された。現場からは遺書も見つかっていて状況などから自殺を図ったとみられている。 |
7/18(土) 19:34 | デイリースポーツ | 関係者への取材によると、 | 三浦さんは17日までドラマ「おカネ-」の撮影に参加。18日朝から連絡がつかなくなっており、18日のロケは急きょ中止となっていた。 |
7/18(土) 19:39 | 中日スポーツ | 捜査関係者によると、 | 三浦さんが仕事に来なかったためマネジャーが自宅を訪ね、クローゼットの中で首をつっている三浦さんを発見。室内から遺書とみられるものが見つかっており、警視庁が慎重に内容を確認している。 |
7/19(日) 5:00 | デイリースポーツ | 不明 | 三浦さんは18日朝から都内で撮影に参加予定だったが、現場に現れず、不審に思ったマネジャーが港区内の自宅マンションを訪れたという。 |
デイリースポーツ | 不明 | 三浦さんは18日朝から都内で撮影に参加予定だったが、現場に現れず、不審に思ったマネジャーが港区内の自宅マンションを訪れたという。 | |
7/19(日) 12:48 | 文春オンライン | 捜査関係者によると、 | (午前中の状況の記述はない) |
9月4日 | アミューズ | 午後から予定されていた仕事に向かうため、約束の時間に担当マネージャーが自宅へ迎えに行きましたが、メール・電話等に返事がなかったので、部屋へ向かいました。インターフォンを鳴らしましたが応答がなかったため、管理会社の方に連絡し、部屋の鍵を開けていただき入室したところ、すでに意識のない状態でした。応急手当をするとともに、すぐに警察と救急に連絡を入れ、病院に搬送されましたが、懸命な救命処置も及ばず14時10分に永眠いたしました。 |
配信日時 | 作成者 | 記事の主語 | 遺書の有無に関する報道内容 |
---|---|---|---|
7/18(土) 15:04 |
日テレニュース24 | 遺書の有無には触れていないが、タイトルは「速報:俳優の三浦春馬さんが死亡 自殺か」 | |
7/18(土) 15:37 |
NHK | 捜査関係者によりますと、 | 室内からは遺書のようなものが見つかっているということで、警視庁は現場の状況などから自殺を図ったものとみて詳しい状況を調べています。 |
7/18(土) 15:54 |
デイリースポーツ | 警視庁三田署は | 遺書があったかなどについては、「お答えできません」と回答した。 |
7/18(土) 17:45 |
週刊新潮WEB取材班 | 警視庁関係者によると | 「18日午後、東京・港区のマンションの1室で、クローゼットの取っ手にヒモのようなものを結び、そこに首を引っかけた状態で亡くなっていたそうです。仕事現場に現れず、連絡が取れないことを不審に思った三浦さんのマネージャーが部屋を訪れて発見。部屋の中からは遺書のようなものも見つかっていると聞いています」 |
7/18(土) 18:30 | デイリースポーツ | 不明 | 遺書とみられるものがあったと伝えられている。 |
7/18(土) 18:47 | ANNニュース | 関係者によると、 | 現場からは遺書も見つかっていて状況などから自殺を図ったとみられている。 |
7/18(土) 19:34 | デイリースポーツ | 自宅からは遺書のようなものが見つかったと報じられているが、所属事務所は同日夜、「詳細に関しましては、現在確認中」(公式サイト)と説明した。 | |
7/18(土) 19:39 | 中日スポーツ | 捜査関係者によると、 | 室内から遺書とみられるものが見つかっており、警視庁が慎重に内容を確認している。 |
7/19(日) 5:00 | デイリースポーツ | 捜査関係者によると、 | 室内からは遺書のようなものが見つかったといい、警視庁は自殺を図ったものとみて調べている。 |
デイリースポーツ | フジテレビは | 同日、自宅から見つかった手帳に「死にたい」などと書かれていたと報じた。 | |
7/19(日) 12:48 | 文春オンライン | 捜査関係者によると、 | 「自宅からは『死にたい』と書かれた日記が見つかっている。自殺とみて捜査を進めている」という。 |
9月4日 | アミューズ | 警察の現場検証の結果、本人が日頃から役作りなど様々な思いを綴ったノートは自宅から発見されましたが、遺書はありませんでした。 そのノートにも、自死の動機や原因と直接結びつくような内容はなく、また、ファンの皆さま、スタッフ、アーティスト仲間などへ遺した文章や、遺書なども結果として見つかっておりません。 |
不自然な自殺報道/警察情報の垂れ流し/アミューズの変遷
死亡後わずか54分後の速報
緊急搬送先での死亡時刻は14時10分と発表され、そのわずか後の15時4分には、日テレニュースでは「速報:俳優の三浦春馬さんが死亡 自殺か」という見出しの速報が流れた。
三浦氏の死亡が確認されたのは14時10分。そのわずか54分後の速報は、死を待ち構えて、それを聞くや否やメディアにタレ込むほどのスピード感だ。もちろん、顔が効く者でなければ、メディアに取り合ってはもらえない。それゆえ、誰がタレ込んだのかを絞り込むことは、それほど難しい作業ではない。死亡をリアルタイムで確認でき、現場の状況を知り得る者は、数えるほどしかいないからだ。自殺を匂わせるように仕込んだのも、そのタレコミを密告した者の仕業と断言してよいだろう。
なお、この最初のニュースは抹消されている。報道する側か、タレ込んだ側、あるいは双方にとって、このニュースが不都合になったのだろう。
- 消されたニュース:https://news.livedoor.com/article/detail/18594308/
- Way-back Machineに記録されたアーカイブ:https://web.archive.org/web/20200718062552/https://news.livedoor.com/article/detail/18594308/
警察情報の垂れ流し
死亡から77分後、15時37分のNHKのニュースでは、ネタ元を捜査関係者と明記してある。”捜査関係者”とは、すなわち警察官のことである。16-18時台に、同程度の情報量のニュースが、一斉に配信されたことから、その警察官が複数のメディアにタレ込んだこと推察できる。
「自殺か」「自殺とみられる」という言葉を含むニュースが、NHKの後にも大量に発生したことから、その警察官のタレコミに「自殺の推定」が含まれていたことも推察できる。
若手の人気俳優、三浦春馬さん(30)が東京・港区の自宅で首をつった状態で見つかり、搬送先の病院で死亡したことが捜査関係者への取材でわかりました。警視庁は現場の状況などから自殺を図ったものとみて詳しい状況を調べています。
捜査関係者によりますと、18日午後、東京・港区のマンションの1室で俳優の三浦春馬さん(30)が、首をつった状態で見つかり、搬送先の病院で死亡したということです。
三浦さんが仕事に来なかったことから、部屋に迎えに行った所属事務所のマネージャーが発見し、110番通報したということです。
捜査関係者によりますと、室内からは遺書のようなものが見つかっているということで、警視庁は現場の状況などから自殺を図ったものとみて詳しい状況を調べています。
15時37分のNHKのニュース
病院で死亡が確認されてから、わずか77分後、しかも、検視前、それどころか、事情聴取と現場検証さえ書類にまとまらない時間帯に、捜査関係者(警視庁の警察官)が「首吊り」による「自殺」で「遺書(のようなもの)」があった、とメディアにリークすることは、犯罪死の見逃し防止の意識など微塵もない所業であり、死者の尊厳を冒涜するものだ。
問題の根源はテレビと警察の癒着
大メディアの記者は、警察と「良い関係」を築き、いち早く情報をもらうことを重んじてきた。また、警察をネタ元とする情報は、社内で信頼され、社外で信用される。そのなかでも、芸能人に関連するネタは、楽して視聴率のとれるおいしいネタの筆頭だ。芸能人ネタを欲しがるメディアに、タレコミのアルバイトをする警察官もいることだろう。
「ビッグニュースです!」
タレ込む警察官とタレコミ電話を受ける記者との興奮したやり取りが目に浮かぶようだ。
警察官は、”首つり+遺書=事件性なし(推定自殺)”の単純処理ばかりを目にしているので、そのタレコミによる自殺報道がどんな反響を受けるか、想像できなかったのだろう。
タレコミを受ける記者も、警察情報という安心感から、”首つり&遺書=推定自殺”を安易にそのまま使ったのだろう。
警察とメディアの蜜月関係はさておき、死者の尊厳を鑑みれば、安易な情報提供は慎まなければならない。それなのに、警察官が、状況把握さえ不十分な段階で、「首つり」「遺書」「推定自殺」をリークしたのだとしたら、それは問題だ。
警察は、いつもの情報提供ではなく、情報漏洩として、誰がリークしたのかを捜査し、しかるべき処分をすべきだろう。誰が情報を漏洩したのかは、報道したメディアに「警視庁関係者(捜査関係者)とは誰か?」と聞けば、すぐわかることだ。
安易な報道をしたメディア側の問題も大きい。
「警視庁関係者(捜査関係者)によれば」と但し書きを添えれば、何でもそのまま報道してよいわけがない。
16-18時台に配信されたニュースのうち、警察を取材源(ネタ元)とすることが明記され、「首つり」「遺書」「(推定)自殺」を含むものについては、メディアは取材源を明らかにすべきだろう。
“取材源の秘匿” という報道の哲学がある。しかし、取材源は公共機関である。また、メディアは、取材源が「警視庁関係者」あるいは「捜査関係者」であることが明かにしているどころか、記事の信用性確保と、報道する側の責任転嫁に利用していることが明らかなので、”取材源の秘匿” を盾にする理由はない。
情報が不十分な段階で警察情報が無批判に報道された事実は、松本サリン事件と同様に報道被害事件としての側面を持っている。また、栃木リンチ殺人事件や桶川ストーカー殺人事件と同様に、警察とメディアの馴れ合いが死者の尊厳を踏みにじっているかもしれない。なお、以下の説明文中の「警察発表」は、正しくは「警察官が記者クラブの記者に流した捜査情報のリーク」である。
- 松本サリン事件
- 警察の杜撰な捜査と、それら警察発表を情報源とする偏見を含んだ報道により、無実の人間が半ば公然と犯人として扱われてしまった冤罪未遂事件。
- 栃木リンチ殺人事件
- 少年に対する度重なるリンチを、警察に相談しても相手にされないまま、殺害された事件。警察発表と現実が大きく乖離していたことが、後に明らかとなった。
- 桶川ストーカー殺人事件
- 女子大生が、元交際相手のストーカー行為を警察に相談するが相手にされず、殺害された事件。警察が、女子大生の所持品に「グッチの腕時計」「プラダのリュックサック」があると異例の発表をしたことが、「放蕩女性が事件に巻き込まれた(殺されたのは女性にも原因がある)」といった初期報道につながった。そして、警察がなした異例の発表は、警察の怠慢に注目が向かないようにするための報道工作ではないかと指摘された。
異例のスピード葬
アミューズは、すでに密葬が終わっていることを、三浦氏が死亡した2日後の7月20日に発表した。密葬(火葬)は、時間も場所も発表されなかった。多くの人が証拠隠滅を疑うほど異例のスピード葬は、とうぜんアミューズの意向が反映している。
なお、法律上の手順としては、警察が検視で「事件性なし」と判断し、その次に検案が行われることになっている。実務上、検視と検案を一緒くたにされているとしても、警察が検案(=死体検案書の発行)の依頼をするのは、警察が「事件性なし」を判断した場合に限られる。
つまり、異例のスピード葬が可能となったのは、警察が早々に「事件性なし」を判断し、検案(=死体検案書の発行)を依頼し、そして、本来は遺族に渡されるべき死体検案書がアミューズに渡されたからだ。
初期の報道をアミューズが訂正
7月20日のニュースは、それまで「仕事現場に現れず、連絡が取れないことを不審に思った三浦さんのマネージャーが部屋を訪れて発見」と報道されていたことを、アミューズの担当者が否定したと、報じた。
これに対し、三浦さんの所属事務所アミューズは「弊社マネジャーは当日朝、三浦の自宅に直接向かいました。報道されている事実の中には誤りもあります」(担当者)と否定する。
日刊ゲンダイDEGITAL「三浦春馬さんとマネジャー “現場待ち合わせ報道”の違和感」
しかしながら、「仕事現場に現れず、連絡が取れないことを不審に思った三浦さんのマネージャーが部屋を訪れて発見」との報道は、警視庁関係者をネタ元としている。
警察官が、午前中の経緯を、そこまで詳しく事情聴取していたのなら、マネージャーが入室した時間のほか、それまでの経緯についても、とうぜん時間を記録したはずだ。
だから、もし警察に、犯罪死の見逃しを防止する意識があるのなら、死亡当日に聴取したはずの記録さえ使えば、真実に近づくことができるはずだ。そして本来、それは科学的な調査以前に警察がなすべきことである。
四十九日のアミューズ発表は時系列があいまい
2020年9月4日、ようやくなされた四十九日発表において、アミューズは当日の様子を次のように記した。
午後から予定されていた仕事に向かうため、約束の時間に担当マネージャーが自宅へ迎えに行きましたが、メール・電話等に返事がなかったので、部屋へ向かいました。インターフォンを鳴らしましたが応答がなかったため、管理会社の方に連絡し、部屋の鍵を開けていただき入室したところ、すでに意識のない状態でした。応急手当をするとともに、すぐに警察と救急に連絡を入れ、病院に搬送されましたが、懸命な救命処置も及ばず14時10分に永眠いたしました。(以下省略)
三浦春馬に関するお知らせ(2020年9月4日)
多くの人たちが指摘する通り、「現場待ち合わせ」から「マネージャーが迎えにいった」に訂正されただけでなく、7月18日午前の出来事については未確認の情報が錯綜していた。そして、9月4日のアミューズ発表は、何ら具体的な説明が加えられていない。それどころか、数時間のできごとを無理やり繋いだ2つの文となっている。
午前中の状況説明を求めるファンの声が高まっていたことを照らせば、アミューズ発表は「敢えて具体的に示すことを避けた」と指摘されるのは当然だろう。おそらく、不自然な文章にせざるを得ない “特別な理由” があるのだろう。
そこで、アニューズ発表の不自然な文章を、通常の構文で区切ってみた。
アミューズ発表を箇条書きに整理
- 午後から予定されていた仕事に向かうため、約束の時間に担当マネージャーが自宅へ迎えに行きましたが、
- メール・電話等に返事がなかったので、部屋へ向かいました。インターフォンを鳴らしましたが応答がなかったため、管理会社の方に連絡し、
- 部屋の鍵を開けていただき入室したところ、すでに意識のない状態でした。
- 応急手当をするとともに、すぐに警察と救急に連絡を入れ、 病院に搬送されましたが、
- 懸命な救命処置も及ばず14時10分に永眠いたしました。
アミューズが説明責任を自覚するなら、時系列順の箇条書きのうち、少なくとも要所においては時間が示されるものである。
アミューズ発表を調書形式に編集
- 〇時の仕事に三浦氏を送迎するため、**時**分に担当マネージャーが自宅に到着した。
- **時**分、(部屋の外から連絡が取れないので)管理会社に連絡した。
- **時**分、(管理会社の担当者が到着し)部屋に入室した。
- **時**分、(三浦氏を発見し)警察と救急に連絡を入れた。
- **時**分に救急車が、**時**分に警察が現場に到着した。
- **時**分、三浦氏が病院に到着した。
- 14時10分、病院で死亡が確認された。
それに警察がまともな事情聴取をしたのなら、同様の時系列順の箇条書きの調書が作成されたはずだ。
マスメディアの闇・報道の闇・警察の闇
マスメディアの闇 衰退するテレビ/飛躍する芸能事務所
テレビ局が使う『衝撃映像』のほとんどは、YouTubeなどの動画投稿サイトから借用されている。『衝撃映像』に限らず、『おもしろ映像』や『かわいい動物映像』などなど、やらせや演出のない映像に関し、テレビ局は、クリエイターの裾野が広い動画投稿サイトに、勝ち目はない。そしてテレビ局は、動画投稿サイトの作品に芸能人がコメントを重ねるだけの『2次利用番組』を多数制作している。
テレビ局の収益面をみると、広告収入は下落する一方で、2009年にインターネットに追い越された。これはネットの広告特性が支持された結果だといえる。この傾向が逆転する可能性はない。
テレビ局にとって、広告費の減少は、とうぜん製作費の減少となる。そして、『2次利用番組』のほか、芸能人頼みの無難でコストの安いバラエティ番組が乱立することとなっている。
そうした昨今のテレビ事情をかんがみれば、芸能プロダクションの立場が強くなることは容易に予想できる。
芸能プロダクションの立場が強くなる一方、ある程度の知名度を獲得した芸能人の流出は、芸能プロダクションにとって、頭の痛い問題だろう。その流出が好調期であるなら、芸能プロダクションが何とか阻止したい、と欲するのは当然だ。
報道の闇
情報が不十分な段階であるにもかかわず、自殺を決め付けるかのような報道は、死者の尊厳を踏みにじるものである。もし、三浦氏が殺人事件の被害者であったなら、マスメディアは、松本サリン事件や栃木リンチ殺人事件の反省をまったく顧みず、報道被害を発生させたことなる。
警察とマスメディアが自殺以外の可能性を黙殺している限り、表立った問題にはならない。しかし、警察とマスメメディアのなれ合い装置である記者クラブが、どれほど世界から批判されても、変わらない現実は、国民の知る権利にも大きな影を落としている。
警察の闇 死因究明に背を向ける理由
三浦春馬氏の死因が究明される可能性に示したとおり、日本の死因究明制度には欠陥があり、警察が死体の表面を視た(検視した)だけで安易に自殺や事故を判断してきた。そうして警察は、殺人事件の分母を減らし、検挙率100%をアピールしてきた。一方、分母に取り込まれた殺人事件においては、数々の冤罪が発覚している。
こうした死因究明制度の欠陥は、10年以上にわたって、厚生労働省の所管分野である医師らが中心となって議論を行い、ようやく改善されたのである。2013年に制度化された『調査法解剖』は、事件性の疑いのある死体に対し、科学的な死因究明を実施する手段として導入された。
ただし、『調査法解剖』は、警察官が直前の『死体調査』で「事件性なし」と判断したら行われることはない。ちなみに、死因・身元調査法の所管は、死因究明制度改革を推進した厚労省でなく、警察庁である。
警察の『検視』の段階における「事件性なし」の乱発は、死因究明制度の改善を、水泡に帰すのである。
「遺書の存在を警察にそそのかしたのはアミューズか」の項に示したとおり、三浦春馬氏の不自然死において、警察官が『検視』で「事件性なし」と判断したのは、自殺の定番イメージのある「首つり」という手法と、アミューズ担当者への事情聴取において、遺書の存在をそそのかされたからだろう。
だから、後にアミューズが「遺書はなかった」と声明を発表することは、警察にとって「梯子を外された」ことになる。
ただし、梯子を外されようが、外されまいが、警察は、一度、自殺を判断したことを撤回することはない。なぜなら、三浦春馬氏と同様の状態で発見される事案は無数にあり、警察はその多くに同様の処理(首吊り+遺書=推定自殺)をしているからだ。
分母の増加を容認すると、これまでの検挙率100%が崩れ、「警察の自画自賛はいったい何だったんだ!?」という、警察にとって好ましくない批判が発生してしまう。
上の表のうち、黄色の棒グラフと赤色の折れ線グラフは、徐々に現実に近づける為政者的の細工を想定したうえで作成した。誇張されているように感じる人がいるかもしれないが、右端の棒グラフの示す殺人事件の件数6000件は、かなり控え目に書いた。殺人天国に示した通り、殺人事件の件数は、1万件を超えても不思議はない。
まともな時系列さえ発表せずファンを恫喝するアミューズ
疎遠な親族の死より、想いの強い他人の死のほうが重いものだ。それが芸能人とファンという一方通行的なものであっても、思いを寄せる者たちにとって、その重さに変わりはない。
違和感だらけの自殺速報、つづく自殺の刷り込み報道、証拠隠滅を疑わせる異例の早期密葬(火葬)、ネット上から消される記録、あえて時系列を曖昧にしたように見えるアミューズのお知らせ(9/4)と、続く恫喝声明(9/14)。そして、終息しないアミューズ関与を疑う声に対する2度目の恫喝声明(4/27)。
アミューズの関与を疑う声が止まないのは、「犯罪死の見逃し」が疑われる典型的なケースであるにもかかわらず、それを警察が捜査をしないからだ。また、四十九日のアミューズ発表は時系列があいまいの項に記した通り、アミューズ発表は、何かを隠そうとしているようにしか見えない。
そもそも、警察が事件として捜査をするか、あるいは、アミューズが死亡当日の詳細を明らかにしていたなら、ファンを苦しめる現在の状況は発生していない。
真相究明が拒絶されるプロセス
アミューズが疑われる理由 警察がそれを疑わない理由
本当に自殺なら、そのことを納得させる時系列が発表されるはずだ。アミューズがそれを回避するなら「本当に自殺か?」と疑われるのは当然だろう。
事後検証のための証拠を何ら残さぬまま遺体が焼かれた結果、もはや死因を科学的に解明することはできない。しかしながら、殺人の被害者と被疑者の面識率は、およそ9割の項に示した統計的傾向からも、アミューズの関与が疑われるのは当然である。
なお、科学的な死因究明なしでも、他殺の可能性を推し量ることは可能だ。
前述の供述調書に記された時系列を照らせば、2021年9月4日にアミューズが発表した中にほころびが見い出せるはずだ。それがほころびに留まるのは、アミューズが時系列にあからさまな嘘を入れなかったからだといえる。その代償として、てんで時間の推移が読めない不自然な文章となってしまったのだろう。
アミューズ発表に供述調書を照らすだけでなく、警察が、当日予定の出演者に話しを聞けば、アミューズ発表のほころびは確定的となるかもしれない。(なお、アミューズ発表とアミューズ関係者の供述調書、あるいは関係者らの供述で分かるのは、他殺の可能性の有無に過ぎず、犯人の特定はまた別の問題である。)
そんなことさえも警察がしないのは、警察側にも “特別な理由” があるのだろう。
警察が日記を遺書とみなした行程
まるでハゲタカが食い散らかすかのように為された三浦氏の自殺報道において、ポイントとなるのは、当初『遺書』とされたノートが報道されるにいたった経緯である。後にアミューズが「日頃から役作りから様々な思いを綴ったノートは自宅から発見されましたが、遺書はありませんでした」と発表することになるが、死亡から四十九日までの間、そのノートは『遺書』として扱われた。
NHK、週刊新潮、中日スポーツ、デイリースポーツ等複数のニュースで、「捜査関係者」「警視庁関係者」が遺書(のようなもの)があったと報道していることから、警視庁の警察官が三浦氏のノートを遺書(のようなもの)と認定し、そのことをメディアにリークしたことは明白だ。
では、その警察官がどのようにして、三浦氏のノートを遺書(のようなもの)として認定したのか考えてみよう。
- 警察官は「自殺の動機に心当たりはありますか?」と聞いた。アミューズのスタッフは「こんなものが…」と三浦氏のノートを差し出した。
- 警察官は、室内を捜索し、そのノートを探し出した。それを読み進め、死に関連する文章を見出し、ノートを遺書として認定した。
多くの人が、現実的なのは 1 の方だと答えるだろう。
私には 1 しか考えられない。ではなぜ、アミューズのスタッフは、三浦氏が思いを綴ったノートを、まるで遺書であるかのように、あるいは遺書そのものとして、警察官にほのめかしたのだろうか。考えるに、アミューズのスタッフが、三浦氏の自殺を印象付けたかったから、と推定するのが自然であろう。
私の推測が正しいか、正しくないかを、遺書(らしきもの)を扱ったアミューズのスタッフと警察官は、とうぜん知っている。そしてもし 1 が真であったのなら、後にアミューズが「遺書はなかった」と発表したことは、その警察官にとって寝耳に水だったはずだ。アミューズが遺書であることを示唆しておきながら、後になってそれを撤回したことになるからだ。
しかしながら、芦名星氏、藤木孝氏、竹内結子氏らが、三浦氏と同様に首吊り状態で死亡した事案においても、警察は、三浦氏と同様に検視だけで「犯罪性なし(推定自殺)」を判断した。それを踏まえれば、アミューズの思惑を差し引いても、警察が芸能人らの不審死を「犯罪性なし(推定自殺)」としたい “特別な理由” があるのだろう。ただし、桜タブーに直結する問題となるので、話題にすることさえ容易ではない。
週刊文春による自殺の刷り込み記事
誰もが「先立つ不孝をお許しください」という文面を思い浮かべるとおり、遺書とは、遺族への別れを以って、自ら死することを宣言する書である。それが一般に認知されている “遺書の必要条件” だ。
一方、四十九日まで『遺書』として報道された日記の内容は、週刊文春が8月6日号と8月13・20日夏の特大号で明らかにした。
文春は、「(三浦氏と)親しい関係にあった知人」の「(日記は)遺書というべき内容です」という言葉を導入に使い、一貫して、『日記=遺書』として扱っている。つまり、文春は、匿名の第三者による「伝聞」を利用し、『日記=遺書』とする記事を報道したのである。
そして、月刊『創』編集長の篠田博之氏も指摘するように、日記の内容は、「伝聞」にしては具体的すぎる。知人の言葉(「伝聞」)の中にさらに〈カギ括弧〉つきで紹介される文は、まるで『遺書』とされた日記そのものを見ながら語られているかのように明確なのである。
「(三浦氏と)親しい関係にあった知人」の存在をさらに疑えば、記事で紹介される〈日記の内容〉は赤裸々だ。人に見せることを前提として書かれた文章には見えない。
僕の人間性を全否定するような出来事があり、たちまち鬱状態に陥り、自暴自棄になった。当時は鬱状態から抜けられなかった。どう死のうかと考えていた。
週刊文春8月13・20日号
自身の弱さをさらけ出した文章を、はたして「親しい関係にあった知人」程度の人に見せるだろうか。さらに言えば、8月6日号の記事タイトル「僕の人間異性を全否定〜」は、夏の特大号で「約2年前の出来事」とされている。太陽の子を演じた際に書かれたものとは言え、2年前の回想を「(日記は)遺書というべき内容です」とするのは、明らかに無理がある。
週刊文春は、”取材源の秘匿” を持ち出すことができるので、「(三浦氏と)親しい関係にあった知人」が誰なのか?それを明示する必要に迫られることはない。そうした報道機関の特権(秘匿権)の上で、文春は、知人の言葉「(日記は)遺書というべき内容です」を全面的に利用した。その記事構成は、『日記=遺書』として扱う文春の責任を、知人の責任に転嫁しているようにも見える。
そしてもし、文春の記事が、実際には日記の内容を見ながら書いたにもかかわらず、あたかも知人の伝聞であるかのような構成で編集されたのなら、日記の内容が具体的であることの説明がつく。
それに、一部で指摘されているように、文春が警察ルートで日記を手にしたのなら、日記に “遺書の必要条件” が含まれないにもかかわらず、『遺書』として扱われた理由にも説明がつく。警察からの特別なルートで日記の内容を流してもらったのなら、文春には警察に配慮する必要が生じるのである。つまり、警察が「犯罪性なし(推定自殺)」を判断したのであれば、文春もそれに沿って自殺を裏付ける『遺書』としての構成にせざるを得ないのだ。
文春が三浦氏の自殺を印象付ける記事を書くことは、警察にとってもメリットがある。他殺疑惑を封じ込める効果を期待できるからだ。警察がメディアへのタレコミを先走り過ぎたことが、少ない情報(「首吊り」「遺書」「自殺か」)の繰り返し報道の原因となったのは明白だ、その結果、視聴者には他殺疑惑を含む違和感が生じたのである。警察が判断した「犯罪性なし(推定自殺)」に納得しない三浦氏のファンらがおとなしくなるなら、警察は情報提供を厭わないに違いない。
以上のとおり、週刊文春の記事に自殺へのこじ付け感が漂うのは、警察ルートで得た情報がネタ元であることが原因なのかもしれない。
死因究明の推進を無意味化する警察
全編が殺人事件のドラマ「古畑任三郎」の事件簿を見直すまでもなく、計画殺人犯の多くは、遺体を隠すか、自殺や事故を偽装するものである。
三浦春馬氏の死因が究明される可能性に記したとおり、現実においても、警察が「犯罪性ない自殺や事故」と判断した死体が、あとから殺人の被害者であることが発覚するケースは山ほどある。
そうした不幸なケースを減らすために、10年をかけた新しい死因究明推進基本法が施行され、三浦氏の事件と並行して、死因究明等推進会議が行われていたのである。(社会問題としての詳細は、次の記事を参照ください)
そのさなかに三田警察署をはじめ、警視庁の警察官らのしたことは、これまでの死因究明の推進に注がれてきた労力を無意味にしてしまうインパクトのある所業だ。
私たちにできること
刑事司法(警察)に対して
警察がどれほど堕落しているとして、この国が法治国家であるなら、犯罪捜査は警察がすべきものである。警察が「犯罪性なし」と判断したからといって、一般人の捜査で犯人に罰を課すことはできない。私たちには、警察が「犯罪性なし」とした判断の妥当性を問うことしかできないのである。
先に示したとおり、警察の怠慢は、告発制度によって補われるべきである。それがまともに機能していないなら、やはり、私たちには警察判断の妥当性を問うことしかできない。そのためには、警察が「犯罪性なし」と判断した根拠を求める必要が生じる。
そこで問題となるのが、刑事訴訟法第47条の拡大解釈による警察の隠ぺい体質である。
アミューズに対して
アミューズが考えるサステナビリティとは、時代・場所・性別・思想を超えて、
「誰もが良く生きられる自由」を実現することです。
そのために、アミューズだからこそできること。
それは、人の心に「彩り」を創り出すこと。
これは、アミューズのWEBサイトからサステイナビリティ(企業理念の一種)を抜粋である。そこには、ファンあってこその会社であるという意味が含まれている。
アミューズは、9月14日と4月27日の2回に渡り、法的措置を厭わない警告を発した。警告の対象には、三浦氏の自殺報道に納得せず声を上げるファンも含まれる。
アミューズに対する憶測や批判が噴出するのは、アミューズのしていることが、三浦氏が死亡したときの状況を隠しているように映るからだ。十分な説明をせず、逆に恫喝でファンを黙らせるかのようなことをしているから、ファンの不満もくすぶり続けているのだろう。
アミューズという会社が、所属アーティストやその作品にお金を払うファンによって成り立っているのなら、とうぜん、ステークホルダーであるファンに対する説明責任があると考えるべきでだろう。
三浦春馬の死が万人の生につながる可能性に詳細を示すとおり、日本でまともな死因究明が行われていないのは、警察による犯罪捜査が優先しているからだ。欧米では、死因究明と犯罪捜査が分離されていて、警察とは別の独立した検死機関が死因を判断した後、犯罪性があれば警察の捜査がはじまる。
日本の死因究明制度の根本的な問題に照らせば、テレビドラマのような犯人さがしに直結しないほうがいい。犯罪死の見逃しにおける一番の問題は、他殺が自殺として扱われることによって、故人の名誉が棄損されることである。
犯罪死か否かの判断をした警視庁の警察官らが、故人の名誉を棄損する可能性のある情報をマスメディアに漏洩した。ておきながら、広く犯罪死が疑われることとなったにもかかわらず、それを放置するのなら、犯罪放置国家
警察の隠ぺい主義が偽装殺人を助長する
警察は、刑事訴訟法第47条を盾にして、捜査情報のみならず警察情報の一切を隠ぺいしている。しかしながら、警察の隠ぺい主義は、一連の芸能人連続不自然死において、他殺の疑いに蓋をしていることと同等だと言わざるを得ない。「犯罪死の見逃し防止」どころか、自殺偽装殺人が簡単であることを周知させる効果さえ存在し得るだろう。とうぜん、偽装殺人の抑止効果が失われ、治安も悪化する。
次の記事では、犯罪死の見逃し防止制度の瑕疵を明らかにしたい。
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- 2022年5月21日汚職ニセコの土地転がしに係る汚職疑惑を告発
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クローゼットのレール(洋服を吊るすポール)の高さが、2メートルこれが標準だと思います。春馬さんの身長は1.78メートル。その差は僅か22センチ。それで亡くなったというのですか?信じられません。春馬さんは10代の頃から懸垂機を使って腕力を鍛えておられました。それは、キンキーブーツのローラ役で先刻ご承知のことと思います。動転した発見者が、身を伏せて 相手の鼓動を聞くとき、自分の鼓動と間違えることがあるそうです。
2;死亡時間は、通常脳死をもって決定されるはずです。動転した発見者が、相手の胸によく自分の鼓動と勘違いすることがあるそうです。正式には脳死をもって死亡と断定するのではないでしょうか。3;検屍、解剖の際、胃の内容物から何を食べていたかとかアルコールはなどとともに死亡時間も割り出せるはです。また住居内外のエレベータ、非常階段階に残された靴跡や指紋の検出などもしらべたのでしょうか?食べ物から何処で食事をしたかも割り出せるはずです。外食か自宅かコンビニかも調べることで、生前の足取りをたどることによって、誰と一緒だったのか一人だったのかもわかるはずです。検察はもっと詳しいことを公表するべきです。もっとも、アミューズがもみ消しを計ったかもしれません。第一発見者のマネジャーは、警察よりも先にアミューズに連絡したのですから。
全くを持って同感です。電話履歴に関しても夜に誰かと長電話をしていたた、とか、発見時の服装が前日と同じだったと言われたりもしています。そこらへん、本当に不可解。同日の細かい時間も公開してない!
でも、アミューズは契約上、国の法律上言えないみたいな雰囲気で詳細を明かさない。春馬君はアミューズの所有物ではない!なんとかしてあげたい。
カネ恋の4話の最初のシーン。春馬君がお布団の中から手を出してる所です。春馬君の目、薬をもられたように焦点があっていません。足も変です。それに、17日は夜10時過ぎに、春馬君1人だけ残されたという事です。あのお布団のシーンが春馬君の最期だったのではないでしょうか。眠らされて、運ばれて。妄想が過ぎるかもしれませんが、あのシーン、パジャマじゃないんですよね。まさか、亡くなった時前日の服装だったそうですが、あの服???
春馬君の無念を晴らしたいです。
はじめまして。
お伺いしたいのですが亡くなった前日の洋服なのでしょうか?
私は亡くなった時の報道で前日と同じ服とは聞いておりましたが4話で着ていた服だったのでしょうか?教えて下さい。
2話にも着ていたので衣装と思っておりましたが。
もし現実に前日きていたとすると2話撮影後に亡くなったと考えられますが如何でしょうか?
すごくよくまとめてある内容は素晴らしいの一言!
トンプソン真理子さんもそれについて、鋭い洞察でブログを書いてましたが、
さらに深く見入ってしまいました。
彼女は世界に発信するため、英語、中国語も掲載して、様々なメディアに出していくようです。
https://www.marikothompson.com/
あとこれも関連あるかもしれないので、貼っておきます。https://ameblo.jp/sacredokinawa/entry-12628480016.html?fbclid=IwAR2n_B8pDw3gm3lMtFKjVMYfW_seODPPBuWegCSUXnzH5iOjCcoI4tFkMlE
好意的な評価と参考情報ありがとうございます。
私もトンプソンさんの記事は、興味深く読んでいます。
私の専門は社会問題なので、三浦氏らの連続不審死については、今後も社会の問題を知るための一具体例としての扱いになると思います。
だから、「真の犯人は〇〇だ!」といった記事には、なり得ません。しかしながら、もし犯罪死の見逃しが皆無で、そのことが抑止力になっていたなら、三浦氏らも死なずに済んだかもしれません。
事後の活動で、失われた命が戻ることはありませんが、同じような不幸を減らすことができると思っています。
悲しみが癒えません。絶対に自殺ではありません。18日に何故マネージャーは救命を第一にしなかったのでしょう!そこに警察や消防車?同時に呼んでおかしいでしょう!救急車だけで良くない!また病院で骨折があったとか言われていたのに、何故自殺で処理されたのか?そして簡単な検案で済まされており、事件性を疑う司法解剖はされていません。最後のお別れも、何故アミューズが行うのか、家族が普通しますよね。特にアミューズはその日から契約更新してないと言ってましたからなおのこと、どうしても事件性にしたくなかったとしか言えません。だから早く証拠隠滅しなくてはならない為、火葬を早く進める必要があったのでしょう。しどろもどろの時系列、綻びだらけでしょ!やはり春馬君の無念を晴らしてあげたい!《それは自殺ではない!》それを明らかにしたいです。それは他の俳優さん達の為でもあると思ってます。
春馬君は役に悩ませられて心を病んだと、思われて、役者やっている事に不安を抱いている俳優さんもいるからです。
春馬君は未来をちゃんと生きようとしていました。俳優としてもエンターテイメントとしても、夢を繋ごうとしていた。それをみんなも信じて、真実を明らかにして行けたら嬉しいです。
私は春馬さんは実は生きてるのではないかと思っています。あの日7月18日の午前中に春馬さんは今までの心労が重なり精神的に病んでしまいこれ以上俳優は続けることができない状態になってしまった。そんな状態の春馬さんを発見したマネージャーが、事務所に連絡して色々対策を模索しているうちに、いっそのこと自殺にしてしまおうということになった。自殺にすれば派手に報道されることはないと思ったからだ。今ごろ春馬さんは回復してどこかでひっそりと暮らしているのかも知れない。事務所の思惑は大正解で、主演映画や、ドラマ、歌まで大ヒット。
あくまでも私の妄想ですが、春馬さんがどこかで生きていたら、嬉しいです。
仮に犯人が在日だったりしたら警察は動きませんね。二重国籍の人も多いですし。日本はもう日本国民のものではないのだと思います。政府はコロナ対策で外国人の入国を規制したことを発表しましたが、陰で中国人だけは「特段の事情」で何万人も受け入れていましたよね。日本にコロナを持ち込んでいるのは中国人です。在日の人たちは帰化しても日本ではなく母国のために働くことが問題なのだと思います。政治家や芸能人は家系図を発表できない人が多いと思います。
私、春馬さんが亡くなってからファンになった一人です。NHKの世界は欲しい物に溢れているを数回見て、JUJUさんとの楽しいやり取りを爽やかな感じの良い青年だなぁと好感を持った矢先のあの事件でした。いろいろ知るに付けハンサムな外見は勿論の事、前向きな努力家、演技は勿論のこと、ダンスも歌も、ミュージカルも素敵にこなせる、そして誰にも優しく正しく清い精神性に、今時こんなに日本が誇れる若者がいたんだとすっかり虜になりました。責任感の強い彼が自殺などする訳がありません。靖国神社参拝もいけなかったのでしよう。春馬さんは知ってしまったのです。麻薬、子供達のこと、アドレナクロム‥。正しいが為に邪魔なった輩供に消されたのです。これからがもっと活躍出来る人材を。帰せ‼️💥
当日朝5時頃からの番組「まるッとサタデー」だったと思うが、検索ワードランキングの30位まで位を放送するのだが、朝の段階で「三浦春馬」が入っていた。私は特段のファンではないので「何か話題作にでも出たのかな」と思った。午後になって速報を見た時「なぜ朝から検索ワードランキングに入っていたのだろうか?」と不思議に思った。その後のさまざまな情報を見るにつけ、ランキングに入るくらい「事前に」検索されていたのかという不思議さ深まる一方だった。
コロナからこれらの事件が起きて彼らはいなくなりました。
芸能界で太陽のように輝いていた人達が消える悲しみを知りました。
この件がきっかけとなり、私は不審だらけの世の中が本当に信じられなくなりました。
そうして、また、2021年が暮れようとしている。
この不安を隠しきれなくて鬱の症状が出てつらくなるのです。
ずっと自分の気持ちを紛らわせる努力をする日々です。
野村さん、毎回更新をまちわびています。
ありがとうございます。
前回で最後になるのかと残念に思っていましたが、今回も素晴らしい纏めでした。
私個人は、事務所の関与や、警察、マスコミぐるみの隠蔽を再認識しました。
疑わない方が不自然に思います。
日本の各機関で第三者のチェックが入る公正でクリアな仕組みになることを心から願います。
三浦春馬さんのご家族に想いを馳せると本当に気の毒です。
最後、検案書も事務所に渡されたんですよね、、、
毎回更新を心待ちにしております。
素晴らしい纏め、検証、ありがとうございます。
疑わない方が不自然なくらい、アミューズの隠蔽、警察とマスコミの意図を感じます。
日本の各機関が公正でクリアな第三者のチェックが入るようになることはないのでしょうか。
自浄作用は望めないのでしょうか。
春馬さん事件が違った結果で扱われていたら、後に続く芸能人連続不審死は防げたかもしれない。そう考えると発端となった春馬さん事件は重大な影響力があったと考えます。
検案書が身内でなく事務所に渡されたことも、こんなことがあってよいのかと、つくづく悔しいです。
2020年7月20日付けのアミューズ広報は、葬儀の手配を主体的に行ったことが示されています。
「葬儀につきましては、ご親族の方とも相談の上、すでに密葬というかたちで執り行わせていただきました。」
また、死体検案書がなければ火葬はできない。そして、スピード葬の手配は、地方の疎遠な母親にとって困難。近くに親族がいない場合、会社が親族に代わって葬儀を手配することはあり得る。そうすると、死体検案書はアミューズに渡され、アミューズが主体となってスピード葬を手配した、との推測が妥当です。
アミューズが家族に代わってしたことは、葬儀の手配だけではありません。警察に対しては、第一発見者としてだけでなく、家族の代わりに自殺の心当たりを聞かれたはず。そして、警察から事情を訊かれたはずのアミューズスタッフは、警察が自殺を判断する根拠としての遺書があったのかどうかを当然知っているはずです。それが文春が記事にした日記(役作りノート)なのであれば、アミューズは、日記が遺書の要件を満たさないにもかかわらず、警察が日記を自殺の根拠として扱うことを容認したことになります。そうすると、アミューズが遺書の不存在を公にしなかったことには、『何らかの意図』があったと推測されて当然です。
アミューズが遺書の不存在を伏せたまま四十九日が経過し、その間に、週刊文春は、日記を遺書と断定した記事を掲載した。それは、「取材源の秘匿」という特権を保険とし、架空の人物に断定した責任を転嫁し、そして、遺書として断定することの逃げ道をつくっているように見えます。少なくとも、多面的な視点はなく、自殺への疑惑が入る余地を与えない構成となっています。
週刊文春とアミューズの意図はさておき、根源的な問題は、警察にあります。
「殺人事件の検挙率はほぼ100%」
「犯罪死の見逃しは絶無」
あきれるほどの手前みそを大々的に広報し、大メディアがそれをヨイショし、大衆を操作するばかりで、大衆の意見など聞く耳を持たない、そんな警察の問題が広く認知されなければ、事故や自殺で処理される『事件』が減ることばないでしょう。
暴力団リスクを煽り芸能界に天下る警察官僚の鉄面皮