宗教二世とパチスロ二世

宗教に溺れた親によって不幸になった子供は、宗教二世と呼ばれる。パチスロに溺れた親の影響を受けたぼくは、パチスロ二世だ。

宗教2世とパチンコ2世

殺人者のヒーロー化を防ぐためなのか、マスメディアは、前首相の安倍氏を殺害した宗教二世・山上徹也の動機を掘り下げようとしない。しかしながら、安倍氏の死亡によって、隠されていた権力の腐敗と欺瞞が報道されるようになったのは事実だ。それを山上徹也の功績と感じる人は少なくはないだろう。実際、減刑署名は1万3000筆を突破したと言われる。

ただし、山上徹也に対し積極的な同情論を公にする人は少ない。そして、「民主主義を否定」「法治国家を根底から揺るがす」などと、行為そのものを批判する言葉ばかりが躍っている。

ここで矛先を安倍氏に向けよう。政治家が国益に反する特定組織と親密な関係を築くことは、民主主義の理念に反していると言える。その組織の活動が国益に反する可能性があるのなら、法治国家として、何らかの対応をすべきであったはずだ。

この記事は、山上容疑者の弁護をするものではない。しかし、安倍氏は、統一教会と同様、パチスロ業界と親密であったという共通点がある。

多くの権力者がパチスロの振興を支えた結果、家庭内に発生する不幸を、パチスロ二世として告発する。

パチスロ二世

小学4年生になったぼくは、クラスで一番貧乏なのは自分だと気付いた。

ぼくは自転車が大好きで、休みの日には、いつも自転車で遊んでいた。 小学4年生になると、身体の成長で自転車が小さくなり、買い替えが必要になった。でも、ぼくが買い替えをせがむことはなかった。

当時、男の子たちは、5段変速の自転車に憧れた。エレクトロボーイZを頂点に、ダブルヘッドライトと電子フラッシャー付きの自転車は、羨望の的だった。ぼくは、いつか買ってもらえるはずの新しい自転車を妄想した。

「電子フラッシャーはたぶん無理。でも、5段変速は譲れない」

聞かれてもいないのに、勝手な願望を抱いた。

ある日、母が「庭に自転車があるよ」と唐突に言った。ぼくは、喜び勇んで庭へ行き、自転車を見て絶句した。そこにあったのは、再塗装された古い自転車だった。5段変速どころか、サビ隠しに厚く塗られた銀色の塗装が悲しかった。それから、ぼくは自転車に乗らなくなった。

劣悪な住環境

父の鳥かご

ぼくは4人兄弟の長男だ。1つ上の姉と少し年の離れた妹と弟がいた。

もともと2Kの町営住宅だったが、子供部屋と子供部屋への通路が増築された。勉強机の周りだけが、専用スペースだった。ぼくたち兄弟は、もっと広い家を羨望していたが、それを直訴することはなかった。

かわいそうなのは母だ。押し入れに毛の生えた程度の小さな台所(兼ふろ場への通路と脱衣場)で、毎日6人分の食事をつくっていた。

母は働きたがっていたが、父はそれを許さなかった。同様に、父が家族を小さな家に閉じ込めようとしたことを象徴する事件がある。

いつものように夜10時過ぎに帰宅した父が、姉がともだちの家にお泊りしていることを知らされると、夜中に姉を連れ戻しに行ったのだ。父は僕たち兄弟を鳥かごで飼っているつもりなのだろう、と僕は思った。

父は毎日パチンコ通い

ぼくの父は、いわゆるゼネコンに勤めていた。朝7時半ころに家を出て、帰宅はいつも10時過ぎだった。毎日のようにパチンコをしていたようだ。

その当時、ぼくの家族に限らず、父親の権威は絶対であった。ちゃぶ台をひっくり返すことはなかったが、家のなかでは、ほぼ無言で、不満顔をしていることが多かった。

ヘビースモーカーの父は、お酒を飲まず、趣味はなかった。休みの日は、いつも家族をおいて、パチンコか競馬に出かけてた。親戚の家に泊まりに行っても、父は朝からひとりでパチンコに行った。いわゆるギャンブル依存症だ。ただし、その当時、ギャンブル依存症という言葉はなかった。それを問題視する風潮もなかった。

マイルームの妄想

家は貧乏であったが、父が通勤に使う車はあった。子供が寝た後にしか家に戻らない父に対し、ぼくは、父の世界は車と会社にあり、家は寝に帰るだけの場所なんだろう、と思うようになった。

ぼくたち家族は、父の車で、しばしば叔父(母の兄)の家に遊びに行った。子供のいない叔父夫婦は、ぼくたち兄弟をとてもかわいがってくれた。叔父も叔母も外交的で、友達も多かった。母は叔父を慕っており、ぼくは父より叔父のほうが好きだった。たぶん姉も妹と弟もそうだろう。鈍感な父も、そのことには薄々気付いていたはずだ。

ぼくたち兄弟は、大工の叔父が集めた建築雑誌を見て、「ぼくの部屋はここ!」と妄想することを楽しんだ。そうして車で家に戻るとき、「このまま家に着かなければいい」といつも思った。

万引きで拘禁

中学1年生のとき、クラスで電話のないのは、ぼくの家だけだった。恥ずかしさに耐えかねたぼくは、自分のおこづかいで電話を引こうと、公衆電話から電電公社に問い合わせたことがある。でも、当時8万円の電話加入権は、中学生のぼくには手が届かなかった。

中学2年生のとき、やっとぼくの家にも電話が繋がった。その年、ぼくは、紙袋いっぱいの文房具を万引きして、店員に捕まった。

店員は、ぼくの罪を家族に伝えるために母を呼び出した。母は、自転車と電車を乗り継いで2時間かかる隣町のデパートまで、身柄を拘禁されたぼくを迎えにきた。

自宅まで2キロの家路。ぼくは無言で母の前を歩いた。母は、とぼとぼと、ぼくの後ろを歩いた。それから、ぼくは万引きをしなくなった。

貧乏に堪えられるか

「どうせ貧乏なら、みなし子の方がよかった」

ぼくは本気でそう思っていた。貧乏にあきらめがつくからだ。

なお、ぼくは貧乏自慢をしているわけではない。もっと悲惨な幼少期をおくった人は、たくさんいる。それに、姉も妹も弟も、我慢ができた。我慢できなかったのは、ぼくだけだった。

次第に心を閉ざしていった

「もし、兄弟が少なかったら、自分の部屋があったかもしれない」

そうした思いが芽生えると、妹と弟の存在さえ疎ましくなった。そして、ぼくの目標は、早く家を出ることになった。

中学3年になると、ぼくは友達と深くかかわろうとしなくなった。「今度、お前の家に遊びに行くよ」と言われるのが怖かった。そして、ぼくは心を閉ざしていった。

人格が形成される時期に心を閉じたぼくは、孤独を好み、対人コミュニケーションに問題をかかえることとなった。その問題は、今も克服できない。

進学という家出

大学進学は、家を出る口実だった。言わば、波風のたたない家出だ。横浜の大学に通うことにしたぼくは、入学金を含むすべての費用をアルバイトでねん出した。仕送りもゼロだ。

学校の最寄り駅に初めて降り立った日、ぼくは一番安いアパートを即決した。鍵を受け取り、6帖間に寝ころんだぼくは、自分だけのスペースを持った喜びを嚙み締めた。

ぼくは6人家族から、いち抜けた思いだった。帰省どころか、便りや電話もしなかった。

母は、ぼくを心配して、数万円のお金を送ってきたことがあった。でも、ぼくは不遇な環境から自分の力だけで独立したことにプライドがあった。だから、そのお金を送り返してしまった。後になって、母にかわいそうなことをしたと思った。

健気な母

父を嫌うぼくに対し、健気な母は、父を弁明する手紙を送ってきたことがある。その手紙は、父は、学歴こそないが、努力して、会社では評価されているという内容だった。しかし、ぼくが父を嫌う理由は、家族をないがしろにする姿勢だったので、母の手紙は、まったく響かなかった。

「女は男より三歩下がって歩くもの」

伝統的に男性優位の九州では、女は男を立てる、という風潮が強い。離婚はご法度だ。母は、ぼくの知らないところで、かなりの苦労をしたようだ。

母は、50歳台でクモ膜下出血を発症した。重篤な事態であることを知らされたぼくは、ほぼ10年振りに九州に行った。病床の母は、ぼくの顔を見ると、笑うでもなく、驚くでもなく、何かを求めるような表情をした。ぼくが手を差し出すと、母は、ぼくの手を握り締めた。言葉は、ひとつも交わさなかった。

鳥かごの人生

母は、退院後も、介護が必要なほど、日常生活に不便があったらしい。父が介護を余儀なくされたはずであるが、詳しくは知らない。

数年後、ぼくは、母の訃報を聞いた。ふとんのなかで途絶えていたのだそうだ。それを聞いたぼくの脳裏には、父に対するあらぬ疑いがよぎった。

母の死後に聞いた話しによれば、晩年の母は、精神的に壊れていたそうだ。父に対する不満を誰にも理解してもらえなかったことが、原因のひとつだったらしい。子供たちが巣立った後、父とふたりきりの生活も、母を苦しめたのだろう。

そして、母は、父の鳥かごから出られずに死んだのだ。

最後の電話

晩年の父は、まるで別人のように改心したらしい。地域の児童委員として、保育活動に熱心だったようだ。子供に好かれるために、アンパンマンのエプロンを付け、保育士のような仕事もしていたらしい。ただし、パチスロを止めたかどうかは知らない。タバコは止められなかったようだ。

父と最後に話しをしたのは、電話だった。ぼくが離婚した後、元妻が引き取った一人娘に会おうとする父を、ぼくは激しく叱責した。相手の生活を尊重する気持ちがあるなら、自重すべきことだと思ったからだ。でも、父にそんな発想はなかった。子供や孫に会うことが、自身の当然の権利であるかのように認識していたのである。

ぼくは、壊れるほどに受話器を叩きつけて、電話を切った。

パチスロで壊れる家族

経済的な喪失

なお、父が勤めていた会社は、父が定年する時までに東証二部に上場しており、退職直前の給料はかなりの額であったことを、父の死後に知った。そうすると、いったいどれだけの金をパチンコに使って、ぼくたち兄弟と母に哀れな思いをさせたのか、今でも腹立たしさがこみ上げてくる。

親子関係の喪失

失われたのは、カネだけではない。毎晩のようにパチンコ通いしていた父は、家族との時間を持とうとしなかった。

勉強やスポーツを教えてもらったり、相談に乗ってもらったことは一度もない。子供の話しを聞こうとせず、自分の考えを子供に押し付けた。

親戚の家を除けば、宿泊をともなう家族旅行は1度だけだ。家族が揃っての記念写真は1枚もない。

家庭を犠牲にした経済大国

昭和男子の家長としての責務は、働いて生活費を家に落とすことであり、家族との時間を大切にすることではなかった。こうした家族を犠牲にした経済活動への滅私奉公が、日本を経済大国にしたのだろう。しかし、生活大国にはなれなかった。経済活動の裏で、多くの家族が犠牲となったからだ。

犠牲ほとんどは、それぞれの家族さえ我慢すれば、大した問題にならないレベルである。そのことが問題を見えにくくしているが、問題の本質は、悪影響の裾野がおそろしく広大であることだ。

父が勤めていた会社は、バブル経済の終焉とともに倒産した。しかし、父のように、仕事で消耗し、家族を顧みない内弁慶の父親たちは、今でも多数が存在する。

家庭の権力者/国家の権力者

なお、ぼくが父を嫌ったのは、家庭の権力者として振る舞うばかりで、家族をないがしろにしたからだ。家をいち抜けしたぼくは、父親とまともに対峙することはなかった。ぼくは、権力者の横暴から、自分だけ逃避したのだ。

その後悔もあって、公益をないがしろにする国家の権力者に対し、ぼくは、素朴な正義感を大切にしたい。

宗教の問題とパチスロの問題

統一教会への献金/パチスロの売り上げ額

安倍晋三氏を銃撃した山上徹也容疑者の母親は、通算1億円以上を浪費したという。

多くの愛好家が1回数千円から数万円を浪費するパチスロも、回数によっては相当な額になる。1日おきに1万円を浪費すれば、月15万円、年間で180万円になる。10年で1800万円という額は、40年前なら、立派な家を建てられる額だ。

統一教会が集める献金は、年間200億円程度(日刊ゲンダイ)らしい。一方、パチスロ店が集める売り上げは、年間15兆円(パチンコ業界WEB資料室)と言われている。統一教会の750倍だ。パチスロが社会に与えるインパクトは、次元が違う。

社会問題の本質(個別事由との分離)

ぼくの家族で、もっとも不幸だったのは母だ。でも「かわいそう」で完結させないで欲しい。

山上徹也が元首相の銃撃を選んだ本心(本当の動機)は、明らかにされないような気がする。一方、ぼくが思い出したくもない過去をさらす動機は、同じような不幸を減らすためだ。ぼくは、パチスロ業界の根本的な問題に対し、少しはまともな議論がなされることを期待している。

パチスロ問題の本質として、ぼくが議論を期待する内容は次のとおり。

  • ギャンブル中毒がその家族にもたらす不幸(マクロ視点)
  • 権力者(官僚・政治家)が、カネの集まる仕組みに関わろうとする問題
  • マスメディアが、パチスロが社会に与える悪影響を報道しない問題
  • 宝くじと公営競馬のような社会への還元が制度化されていない問題
  • 『失われた30年』における国力低下との関連性

「かわいそう」で終わってしまいがちな『個別事由』ではなく、『社会問題』としての本質に迫るには、社会システムを知る必要がある。前半に綴ったぼくの過去はイントロに過ぎず、この記事の本体は、以下に続く後半部分にある。

一般の人に馴染みが薄く、理解困難な部分があるかもしれないが、斜め読みであっても目を通して欲しい。

パチスロ産業に群がる権力者

パチスロ依存症の問題や、パチスロ店の駐車場で車内に置き去りにされた子供が死亡する事件が発生しても、国は、それらを個別一過性の事件として扱い、社会の問題にしなかった。しかしながら、パチスロに溺れる親のいる家庭には、不幸が芽吹いている。それぞれの不幸は小さいかもしれないが、すべての不幸を合わせると、甚大な悪影響を社会に与えてきたはずだ。

パチスロとアヘン

パチスロがほかの賭博と違うのは、掛け金が爆発的に増加する様子を視覚化できるところにある。視覚だけでなく、軍艦マーチに代表される音楽が聴覚を麻痺させる。結果、トランス状態を感じられるのだろう。何度もリーチで焦らされた後に得られる快感が忘れらず、常習的に浪費を続けることになる。ほとんどの常習者たちは、たまに勝つことで、「大して負けていない」と錯覚している。

強い陶酔感が得られる点において、パチスロは、アヘン(阿片)に類似する。アヘンと言えば、かつてイギリスが中国(当時は清国)に仕掛けたアヘン戦争が思い出される。アヘン中毒者の増加による治安の悪化や国力の衰退を危惧した中国は、アヘンの取締りを強化した。一方、アヘンの輸出で潤っていたイギリスは、武力で中国を支配下に置こうとした。こうしてアヘン戦争が勃発した。大儀のない戦争であったが、勝利したイギリスは、香港をはじめとしたイギリスの拠点を中国に置くこととなった。

パチスロを推進する権力者/パチスロ利益の行方

話しを日本に戻そう。日本のパチスロ産業は、強制連行した朝鮮人の生業を守ることを唯一の大儀とした。サンダル履きで毎日通える賭博場として成長したパチスロ店は、プリペイドカードの導入時期に、パチスロ台の許認可を握る警察に完全に牛耳られた。なお、プリペイドカードは、脱税防止を名目とした。しかし、ぼくが調べた限りにおいて、プリペイドカードの導入による税収増を伝える報道とデータは存在しない。

そして、国が主導した大規模郊外店の規制緩和と、市街地に対する全国一律の駐車規制によって、零細パチスロ店は、ほぼ消滅した。そして、あたらしくロードサイドに開発された大規模パチスロ店による寡占化が劇的に進んだ。2012年、パチスロ店の運営大手ダイナムが香港株式市場に上場したことにより、「朝鮮人の生業を守る」という唯一の大儀も完全に失われた。

ダイナムが香港市場で上場したのは、「ただのゲーム機」という逃げ道のあるパチスロ機メーカーに対し、賭博の誹りを排除できないパチスロ店は、日本で上場できないからだ。現在では、複数のパチスロ店が海外株式市場に上場している。

ぼくには、有害なアヘンの蔓延を防ぐこのできなかった中国(当時は清国)がオーバーラップして仕方がない。パチスロ中毒者を国内に蔓延させながら、その利益が国外に流れているからだ。

ついでに書くと、パチスロの利益が北朝鮮に流れていたのは、事実のようだ。ただし、立証が困難なので、関係者が「今はもうない」と言うだけで、ないことにされてしまう。しかしながら、どうやって北朝鮮がミサイルや核開発の資金を得ているのか、ぼくには、調べれば出てくる方法だけで、北朝鮮が資金を賄えているとは思えない。

失われた30年の裏側で大手が寡占したパチスロ産業

人を堕落させるばかりのパチスロ産業を容認することに、いったい何の社会的メリットがあるのか、はなはだ疑問だ。それ以上の疑問は、巨大な「脱法産業」を誰も批判しないことだ。それどころか、『失われた30年』の裏側では、「脱法産業」から脱却するための舞台が着々と整備された。少し歴史を辿ってみよう。

  • 1999年、石原当時東京都長がお台場カジノ構想を唱えた。
  • 2001年、東京都庁でカジノ体験イベントの実施。セガサミーの台が使用された。
  • 2002年に元警視総監前田健治氏がパチスロ機トップメーカーのアルゼ(現ユニバーサルエンターテインメント)の常勤顧問となった。
  • K1とパチスロ2003年、アルゼは、K-1のメインスポンサーとなり、バナーがテレビ画面に露出するようになった。
  • 2005年8月、TBSが密着取材を続けていた亀田三兄弟の長男、亀田興穀がパチスロメーカー京楽のロゴ入りトランクスでタイトル戦に登場した。
  • 2005年、パチスロCMの解禁。
  • 2010年4月、パチスロ換金の合法化とカジノを推進する国際観光産業振興議員連盟、通称「カジノ議連」が発足した。
  • 2013年、パチスロ機メーカーのセガサミー創業者里見治氏の娘と経産省キャリア官僚の披露宴に安倍総理と総理経験者の2人が出席し、話題となった。
  • 2016年、IR推進法(統合型リゾート(IR)整備推進法)が可決された。

パチスロ産業は、1990年代CR機導入により、パチスロ機にホール経営が左右されるようになった。これは、脱税防止を名目とした警察主導によるものであった。脱税が減ったかどうかはさておき、確実な変化は、パチスロ機メーカーが業界を主導し、 パチスロ機の仕様を規制する警察の影響力が絶大なものとなったことだ。

パチスロが脱法産業(警察が3点方式を認めるから賭博罪が問われないに過ぎない)であることから、テレビCMを出すことはなかった。それが、2003年から、格闘技のテレビ中継で、バナーや選手のウェアに広告が映り込むようになった。やがて、パチスロ台の広告が解禁された。胴元批判のあったパチスロ店は、少し遅れてCMが解禁された。

カジノ議連は、かつて、安倍晋三氏(当時総理)と麻生太郎氏(当時副総理・財務相)が最高顧問を務めていた。当初、カジノ議連は、カジノの許認可を行政委員会「カジノ管理委員会」を設置し、「査察官」制度を設けるとしていたが、後にその箇所は削られた。そして、カジノ管理委員会は「都道府県警察と協力の下」任務にあたるという文言が挿入された。それによって、カジノが警察利権となることが必至となっている。

失われた30年の裏側で、警察の影響力は、パチスロとカジノの利権以外のさまざまな分野にも拡大した。

untouchables
暴力団リスクを煽り芸能界に天下る警察官僚の鉄面皮

パチスロ産業の根本的な問題

蜜に群がるアリのように、金の集まる所に交わろうとする政治家と官僚たちがパチスロを正当化する論拠を整理した。

パチスロの違法性を否定する政治家と官僚の方便

刑法185条により、換金を伴うパチスロは賭博である。しかしながら、同法の例外規定「一時の娯楽に供する物」に該当するとの解釈から賭博罪の適用から除外されている。

いわゆるパチンコ営業につきましては、風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律の範囲内で適法に行われているというものにつきましては、刑法第百八十五条の賭博に該当する場合であっても、同条ただし書の一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときに該当し、賭博罪には当たらないというふうに理解しております。

第196回国会 参議院 法務委員会 第17号 平成30年6月14日 法務省刑事局辻裕教

なお、いわゆる「三店方式」は、風営法上の4号営業店であることの根拠となるが、すなわち賭博の例外なるものではない。つまり、刑法と風営法を同時に読み解かなければ、「パチスロが賭博ではない」という説明はできない。

しかしながら、賭博の例外規定「一時の娯楽に供する物」にパチスロが分類されていることについて、ぼくには妥当性がまったく感じられない。

家族を犠牲にした国家の繁栄

かつて経済大国と呼ばれた日本の繁栄は、家族を犠牲にした滅私奉公の上に成り立っていた。バブル崩壊とともに、のちに『失われた*0年』と呼ばれる停滞が始まった。

失われた30年のうち、前半の15年間において、新しい体制を模索する動きが間違いなく存在した。しかし、その動きは、2006年に埋没した。その年に何が起きたのか、この国が堕落した原因を追究したい。

正義も希望もない犯罪放置国家
正義も希望もない犯罪放置国家

「IR(統合型リゾート)」の影で、こそこそとパチスロ利権に係わろうとする政治家と官僚たちを、ぼくはとうてい容認できない。

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執筆者プロフィール

野村 一也
ライター
 創世カウンシル代表

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