犯罪放置国家(三浦春馬氏の遺憾)

日本は汚いモノにあふれてる

この記事は、3部構成の記事の最終版となります。

  1. 三浦春馬氏は自殺か他殺か
  2. 三浦春馬氏の死因が究明される可能性
  3. 三浦春馬氏の遺憾(本記事)

社会全体の問題として再確認すべきこと

三浦春馬氏の死因が究明される可能性にも示したとおり、これまで数々の殺人事件において偽装が発覚している。また、警察の初動捜査の問題が明らかな事例も含まれる。さらには、被害者らの相談を、警察が取り合わなかったことから、殺人事件に発展したケースも存在する。

2009年、こうした状況を受けて、日本法医学会は、次のような提言をおこなった。

わが国の死因究明制度は、あくまでも警察による犯罪性の有無という観点から成り立っているため、犯罪性がないか、または当初極めて低いとみなされた事例については詳細な解剖がほとんど行われていないという決定的な欠点を有しているのである。されに言えば、当初検視時に行われる医師による死体検案についても、諸外国のようにすべてを法医学の専門医が行うことにはなっていないため、後述するように全死亡者数あたりの以上死体死亡率はかなりに低値にとどまっている。このことは裏を返せば、本来は「死因不詳」とすべきところを、多くが「心不全」「急性心機能不全」などという以下元な診断で処理されてしまっていることを示しているのである。

日本法医学会提言:日本型の死因究明制度の構築を目指して(2009年)
  • 死因究明に欠陥が存在することによって、犯罪死の見落としが発生する。
  • 犯罪死が見落とされることによって、被害者の尊厳が損なわれる。
  • 一方、犯罪者は、罰を受けるどころか、捜査の対象にさえならない。

こうした状況は、公共の安全と秩序の基盤を脅かす事態だといえる。それを改善するために、国会議員、警察庁、厚生労働省、関係機関の専門家らが、長期間にわたって、取り組んできたのである。

死因究明の欠陥を改善する取り組みの結果として、2012年死因・身元調査法が成立し、調査法解剖という新しい死因究明の手法が制定された。2019年には、死因究明等推進基本法の成立し、2020年4月に施行された。

何が改善したと言えるのか…

三浦春馬氏の他殺疑惑は、こうした長期間の取り組みが、いちおう形となった直後に発生したケースである。

多くの人が三浦氏の他殺を疑うのは、死亡の動機と状況、報道の仕方に不審な点が多いからだ。三浦氏が有名人であることから、慎重に判断しないと叩かれる可能性があることは、警察も理解していたはずだ。

それなのになぜ、警察が検視において「事件性なし」と判断し、新たに制定された新法による調査法解剖をしなかったのか、そこが着目すべき分岐点である。

事件性を判断する流れ

上図の示すとおり、事件性の有無を判断するのは警察官である。警察官が「事件性なし」と判断した後で実施される検案において、医師が死因を特定するための作業をすることはない。

死因究明制度に対する専門家らの意見

ここからは、死因究明の欠陥を改善する取り組みに参加した専門家らの意見を参照したい。

調査法解剖と行政解剖の明確な区別をしない限り,行政解剖の維持はますます困難になってくることが推察される。その一因は,わが国の死因究明制度が警察中心に運用されており,犯罪捜査に偏した死因究明が行われているためである。たとえ,救急や小児科の医師あるいは警察嘱託医が死因を明らかにするためには解剖が必要と考えても,警察が解剖不要と決めれば医師には解剖や諸検査を指示する権限はない。行政解剖の場合は,本来知事部局がその権限を持っているはずだが,それを実際に行使しているところは少数に留まり,代わりに警察の意思が解剖実施の可否に大きく影響を与えている。

死因・身元調査法施行の解剖制度への影響に関する考察

また,様々な病因を明らかにするため,多くの機関で組織学的検査を行っている。警察としては犯罪捜査の目的に沿わないことから一部に不要論もあるようだが,死因診断をする際,内因か外因かを決める重要な判断根拠になるため,組織学的検査は不可欠である。薬毒物の摂取がなく病変がないことが確認されなければ正しい死因診断には至らないと考えられる。

死因・身元調査法施行の解剖制度への影響に関する考察

自殺も同様に他殺を完全に否定することが困難な場合,司法解剖とするのが妥当であろう。

死因・身元調査法施行の解剖制度への影響に関する考察

警察に対応を求める方法は存在しない

このセクションは、説明が極めて困難なので、一部断定的に記す。

行政不服審査法関連三法が使い物にならないので、市民が行政に対応を求める現実的な方法は存在しない。せめて問題を明らかにするため、情報の開示を求めても、警察は、常に「犯罪の予防及び捜査に支障を及ぼすおそれ」を理由にして、何も出さない。

三浦氏のケースにおいて、仮に遺族が検視調書の公開をもとめても、刑事訴訟法第47条を盾にして、警察は公開を拒絶する。

刑事訴訟法第47条

訴訟に関する書類は、公判の開廷前には、これを公にしてはならない。但し、公益上の必要その他の事由があつて、相当と認められる場合は、この限りでない。

このような捜査機関の秘匿主義は、捜査書類の偽造を蔓延させている。ついでに書けば、私自身も警察官に供述調書を偽造されたことがある

次のセクションに示すことについても、警察の回答を求める現実的な手段はない。しかしながら、死因の究明は国の課題であり、そのために法整備が行われた経緯を照らせば、明らかにされて当然の内容である。

三浦氏の検視はどのように実施されたのか?

医師は検視に立ち会ったのか?

警察官の経験に頼った旧来のやり方でなく、死因究明等推進基本法で明確にされた「適切な科学調査」が行われたかどうかは、まず検視に医師が立ち会ったかか否かが明らかにされるべきである。

次のふたつの動画に収めた電話取材で確認を試みているのは、『検視』を規定した検視規則第5条にある紛らわしい構文の正確な解釈である。

それを明確にしようとする理由は、警察が『検視』と検案を一緒くたに示そうとする傾向が目に余るからだ。法律上、『検視』と検案は、別の作業である。『検視』が先で、検案はその後だ。

警察がそれを一緒くたに示すことにより、『検視』に医師の判断が関与しているかのように見せることができる。そこに、『検視』における判断責任をうやむやにする意図が透けて見えるのである。

もし警察が『検視』を非科学的な方法、あるいは、恣意的な方法をもって、安易に「事件性なし」と判断するのなら、およそ20年にわたる死因究明制度の改善が無意味なものとなる可能性がある。なぜなら、改善の大きなポイントは、『検視』で「事件性あり」と判断された後に実施される調査法解剖(新法解剖)に大きな意味を持たせてあるからだ。

検視規則に関する電話調査

検視官は臨場したのか?

検視官とは、主として代行検視を担当とする警察官に対し、警察庁が通達で定めた呼称。通達の第1には、次の通り記されている。

近年、自殺や事故を偽装した殺人事件等事件性の認定が困難な事件の発生に加え、脳死した者の身体に対する検視といった新たな業務が生じるなど、検視業務の困難性、重要性が高まっていることから、適正な検視業務を行うため、新たな要綱を制定したものである。

警察庁通達甲(刑、鑑、管)第1号 検視官要綱の制定について

検視官は、警察庁が独自に制定したものであり、国会や司法や医療関係者からの要望を受けたものではない。警察庁は、検視官の臨場率が増加をアピールしているのだから、検視官なる職責がはたしてどの程度有効なのかどうかを示すためにも明らかにすべきと思われる。

検視官臨場率の推移

検視において薬物検査は行われたか?

芸能界と薬物の関係が決して浅くはないことは言うまでもない。また、薬物は自殺偽装に頻繁に使用されている。それゆえ、検視または検案において、薬物検査が行われたのかどうか、もし薬物検査が行われたとしたら、それが精度が低いと言われているトライエージという簡易薬毒物検査なのか否かを示すべきだろう。

犯罪見逃しのトップは薬毒物がからむものであり,外表から容易に判断できないことが大きな原因であることは再三指摘されている。また,近年の危険ドラッグの流行,あるいは覚醒剤や大麻の蔓延をみても,仮に死因とならない場合でも薬物使用の実態を明らかにすることは重要であろう。こうした検査の実施基準を設ける試みが必要である。

死因・身元調査法施行の解剖制度への影響に関する考察

犯罪放置国家

「遺書があるから自殺」といった短絡的な判断を、いまだに警察が行っているとしたら、これまでの法改正や関係者の努力を無価値なものにしてしまう、と言っても過言ではないだろう。

非科学的な検視で安易に自殺(事件性なし)と警察が判断することによって、せっかく整備された調査法解剖への流れを滞らせるなら、医師の分野(厚労省の所管)でいくら解剖の制度を整備したとしても、無駄になるからだ。

そうした状態は、警察の存在目的である「公共の安全と秩序維持(警察法第1条)」への疑義、言い替えれば、警察の存在価値そのものに疑念が生じても不思議はない。

警察が、存在目的に対する効果より、権威を優先しているとしても、善良な市民は警察に期待を寄せるだろう。それは、三浦春馬氏の自殺を信じて疑わない者たちになぞらえることができる。

一方、専門家であるはずの警察の判断が、素人目に犯罪死の見逃しを疑われる程度であるのなら、きっと犯罪の常習者は、警察のしていることをせせら笑っていることだろう。

認知数を減らせば、検挙率は上がる

そして、犯罪死の見逃しを指摘する声を、警察が真摯に取り合おうとしなかった場合、警察の権威は失墜する。ただし、それはメディアが権力を批判していた時代ほど大きく表面化はしないだろう。

しかしながら、水面下で警察に失望する人が増加し、犯罪者が警察を笑っている事態は「(法治国家ならぬ)犯罪放置国家」と揶揄されても仕方ないだろう。

報道タブーの闇

三浦春馬氏の自殺報道を整理し、証拠を評価し、ささやかな推理を加えることにした。

報道タブーの闇
報道タブーの闇

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執筆者プロフィール

野村 一也
ライター
 創世カウンシル代表
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