縦割りの壁がもたらす政府の茶番劇

前の記事、竹内結子らの不自然死が事件にならない理由では、三浦春馬に始まった芸能人らの連続不審死が、政府の死因究明等推進本部による死因究明等推進計画検討会と同時進行形であったことを示した。

死因究明等推進本部とは

令和2年4月1日に施行された死因究明等推進基本法(令和元年法律第33号)においては、政府が死因究明等に関する施策の推進計画を定めることとされており、厚生労働大臣を本部長とする死因究明等推進本部において、同推進計画の案を作成することとされています。

また、死因究明等推進本部の下に、有識者で構成する死因究明等推進計画検討会を設置し、同推進計画に関する具体的な議論を行うこととしています。

死因究明等推進本部について(厚生労働省)

過去の悲惨な偽装殺人の頻発を受けて、日本法医学会が死因究明制度の問題を指摘したのは2009年、ようやく法制度が整備され、三浦春馬氏が死亡する3ヵ月ほど前の2020年4月1日から、死因究明等推進基本法が施行された、そして、死因究明等推進計画の検討会の第一回目は、三浦春馬氏の死亡から2週後の7月31日に開かれた。第2回目は、芦名星氏の死亡が報道される3日前の9月11日に開かれている。

そして、11月5日、第3回目の死因究明等推進計画検討会が開催される。

閉ざされた第3回目の死因究明等推進計画検討会

死因究明の必要性は、医療(厚労省の所管)と犯罪捜査(警察庁の所管)との狭間に発生する。そして、日本の死因究明制度が整理されていないのは、厚労省と警察庁の間に『縦割りの壁』が存在するからだ。

第2回死因究明等推進計画検討会資料で、警察庁が強調しているのは『検視官』の存在である。同時並行した芸能人らの連続不審死を、警視庁が「事件性なし」と判断したことに対し、呆れるほどに対象的なのは、まるで警察が犯罪死の見逃しを”絶無”にしているかのような過剰なアピールがなされていることだ。その内容は、前の記事、竹内結子らの不自然死が事件にならない理由を参照してほしい。

なお、第2回目までの死因究明等推進計画検討会は、原則公開であった。記者クラブに所属していないメディア関係者のみならず、一般の人であっても傍聴が可能であった。それが第3回目からは、事前の申込みをした記者クラブに所属しているメディア関係者以外は、傍聴ができなくされた。

コロナ禍であることが理由とされているが、傍聴するつもりで死因究明等推進本部に事前確認をした私に、そうは思えない。

死因究明を不透明にする警察ルート

ここで、警察庁の縦割り意識によって、死因究明等推進基本法がザル法となる可能性を指摘する。

死因究明等推進計画を主導するのは、厚労省である。厚労省の領域で、いくら解剖率を上げたり、死因究明の態勢を整えたとしても、効果は限定的なものとなるだろう。なぜなら、警察がすり抜けるルート(下図赤線のルート)を持っているからだ。しかも、分岐点となる死体見分と検視は、捜査上の理由や刑事訴訟法第47条が盾にされるので、遺族さえ、その内容を知ることは困難だ。

ザル法となる可能性
詳細は死因究明の推進を無にする警察ルート

捜査情報の漏洩問題

そもそも、芸能人の連続不審死が疑惑の目が向けられたのは、警察が捜査情報を報道機関に漏洩し、報道機関が「捜査関係者によれば」を冠としてそのまま報道したことが発端である。そのことが一切問題とされないのは、警察と報道機関の双方が、それぞれが互いの癒着をまったく問題としていないからだろう。

事実上の報道統制

なお、捜査情報の漏洩については、国会で次のような質問がなされたことがある。

捜査情報の漏洩に関する質問主意書(冒頭部の抜粋)

警察及び検察が捜査過程で入手する捜査情報は、適正な捜査の確保やプライバシー保護の観点から秘匿性が高いとされているが、近時、マスコミ報道からみてこうした捜査情報が漏洩されているのではないかと思われる事案が散見される。時には世論形成上、警察ないしは検察が意図的にリークしているのではないかとの疑いすら生じかねない事案もあり、看過できない。 かかる事態は警察及び検察の公平性及び公正性に疑念をもたらす重大な問題であり、この際、事実関係や政府解釈を確認する必要がある。

質問の核を構成する質問(上記リンク先の一と二)に対する回答は、「答弁を差し控えたい」とのゼロ回答だ。警察は、国会を相手にしていないのだろう。

縦割りが臭いものに蓋をする

およそ40年もの間、この国の政治家たちは、「行政改革」「規制緩和」の御旗を掲げるだけで、何もできなかった。もっとも支持を集めた小泉純一郎氏の道路改革でさえ、改革前よりもひどい状態となっている。

そして、現内閣も行政改革目安箱(縦割り110番)なるものを政策の目玉のひとつとしているようだ。「また人気取りか」とうんざり顔で受け止める人もいれば、期待に胸をふくらませて意見した人もいるだろう。

行政改革目安箱の効果の有無はさておき、死因究明は、国民全体の命にかかわる縦割りの問題だ。ほとんどの人は、自分や家族が偽装殺人の被害者になることなど考えないから、まず世論にはならない。しかしながら、犯罪死が見逃されることによって、被害者は不名誉な自殺や事故として扱われる。一方、犯人には、捕まるおそれさえ存在しない。こうした事案が、水面下に多数存在する事態は、危機的な事態だ。それが見えないように蓋がされているとしたら、健全な国家とは言えない。

しかしながら、医療と犯罪捜査の狭間に発生する死因究明の問題において、公開される資料から読み取る限りにおいて、厚生労働省と警察庁が縦割り状態のまま、会議は進んでいるように見える。

一転して傍聴が制限される第3回死因究明等推進計画検討会において、傍聴を許された記者クラブの記者たちが、どんな記事を書くのか楽しみにしたいところではある。

しかし残念ながら、検討会は、芸能人の連続不審死に触れることなく、淡々と進むだろう。三浦春馬氏ら芸能人の連続不審死が、犯罪死の可能性が広く指摘されている事案であるにもかかわらず、話題として取り上げられることはないのである。なぜなら、他省庁のシマに口出しをしないことは、官僚たちの不文律だからだ。そして、閣僚(内閣入りした政治家)たちは、本気で縦割りをなくそうとはしない。政治家が官僚機構にメスを入れるかのように振る舞うことが、ただの人気取りに過ぎないことは、過去の例が示している。

政府が死因究明等推進計画を検討する会議において、国民的な関心が起きた連続不審死に触れようとしないとしたら、これはもう政府の茶番劇としか言いようがない。

そうして、国家を民主的に運営するはずの内閣は、官僚機構に何もできない状況が続くのだろう。

偽りの民主主義
官僚主権の日本

執筆者プロフィール

野村 一也
ライター
 創世カウンシル代表

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