伊藤詩織さんを閉ざしたブラックボックス(刑事司法の隠ぺい体質)が水面下のレイプ天国を覆い隠す

ブラックボックスの刑事司法とメディア仕掛けの社会秩序
届け出拒否

「よくある話しだし、捜査するのは難しい」
性犯罪の被害を届け出た伊藤詩織さんに対し、高輪署の捜査官はこう言って被害を受付けようとしなかったのだそうだ。

届け出拒否

それでも詩織さんは、被害届と告訴状を提出し、ようやく捜査が開始される。しかし『安倍総理にもっとも近いジャーナリスト』と言われていた山口敬之氏の逮捕は、中村格刑事部長(当時)によって、土壇場で執行が停止された。そうして、詩織さんが告訴した事案は不起訴とされた。その結果、詩織さんは『性犯罪』という言葉を使えなくなった。

そして、詩織さんが民事裁判で自ら争ったのは、刑事司法が山口氏の責任を追及しなかったからだ。

本来の刑事司法の役割りは、被害者に代わって、国が加害者を罰することだ。詩織さんが民事裁判を提訴したのは、国が刑事責任を追及しなかったからだといえる。

その目的は、社会秩序の維持にある。しかしながら、刑事罰は、少なからず、刑事司法による代理報復の側面を持つと言える。

この記事は、詩織さんのケースに代表される性暴力に対し、なぜ刑事司法がまともな対策をしてこなかったのか追及する。

メディア仕掛けの社会秩序 Part 3

詩織さんのケースの前に、類似したケースが刑事事件になっているので参考にしてほしい

就活生を狙った連続レイプドラッグ強姦事件

就職活動の女子学生

リクルート系列会社の社員だった丸田憲司朗は、複数の就活中の女子学生らに対し、就活指導などを名目に誘い、睡眠薬を飲ませ、ホテルや自宅でレイプしたとして、刑事責任を問われている。

丸田の容疑は、2020年11月から2021年10月までに、準強制性交等、住居侵入、準強姦、準強制わいせつの罪であり、計10回逮捕されている。

逮捕後、丸田の自宅からは、10種類の睡眠薬が合計700錠も発見された。さらにスマートフォンなどからはおおよそ40人の被害者とみられる女性の写真が見つかっているという。

リクハラ(リクルート・ハラスメント)の実態

ドラッグを盛らなくても、立場の弱い就活生に対し、人事権をちらつかせて悪さをする輩は少なくない。

詩織さんの民事訴訟において、裁判所がレイプドラッグの使用を認定しなかったのは、詩織さんが証拠を示し得なかったからだ。裁判所が認めなかったからといって、山口氏がドラッグを使用しなかったことが『真実』として成立したわけではない。

同様に『裁判所が認定する事実』と『真実』が異なるケースは、無数に存在する。

警察が所管する日本の風俗

ここで風俗における警察の影響力と犯罪傾向を簡単にまとめてみた。金欲と性欲は、主だった犯罪動機だからだ。

アダルトビデオ射幸心警察と安倍晋三とパチスロ業界
合法な商業アダルトビデオにおいても、就活生に対する陵虐行為や、薬物で自由を奪ってのレイプは大量に制作されている。こうした性描写に対する日本の無秩序さは、常軌を逸していると言わざるを得ない。
「犯罪行為なので真似をしないでください」と但し書きさえあれば、放免されることが、末期的な形式主義を感じさせる。それらの海賊版が外国語に翻訳され、Japanese Adult Videoとして配信されていることは、 日本人として恥ずかしい限りだ。
射幸心とは、勤労によらず、ギャンブルで一攫千金を求める心理を示している。パチスロ台に対し「いたずらに射幸心をあおる機種」など、規制するときに使われる。
なお、レイプ犯の心理にも射幸心あると言えよう。それが恋愛によらず、性欲を満たす行為だからだ。レイプの射幸心をあおるアダルトビデオに代表される風俗メディアは、わいせつ基準(刑法175条1項)の警察の解釈に左右される。
脱法賭博のパチスロも、風俗メディアの性表現も、違法か合法の線引きは、警察の判断次第で決まってきた。そこに首を突っ込もうとする政治家などいない。
1980年代、脱税防止を名目としたCR機導入により、パチスロ業界は、台の許認可を握る警察に牛耳られた。その後、大店法の緩和と駐車規制の強化により、昔ながらの零細店は消滅し、郊外大型店の寡占化が進んだ。
そうして、香港株式市場にパチスロホールの株が上場されるに至り、その時点で「在日朝鮮人の生業保護」という脱法産業を容認する唯一の大儀が失われた。
その一方、カジノにかこつけて、パチスロの合法化を目論む議員連合が出現した。それがカジノ議連である。パチスロ業界との関係が深い安倍晋三総理は、カジノ議連の最高顧問も務めていた。

建て前(法律)と現実がかけ離れた日本の風俗

海外のカジノがドレスコードを持つ社交場であるのに対し、寝間着にサンダルで行ける賭博場(パチスロ)が日本の隅々にはびこる状態は、とうてい健全とは言えない。

その一方、ギャンブル依存を原因とした犯罪や、奔放な性表現を背景とした性犯罪に対し、警察がそれらを減らすための現実的な施策を検討した様子はない。そして街には、風俗を享楽する側の欲望をあおる表現ばかりがあふれている。

刑事司法がすべきことを代理しての民事裁判

詩織さんが民事訴訟を提訴したのは、警察に被害届と告訴状を出しても、検察審査会に審査申立と不服申立をしても、刑事司法が動かなかったからだ。そして現在、報道されているのは民事訴訟の結果であり、その証拠は、警察ではなく、詩織さん自身が取りまとめたものだ。

2017年10月24日、外国特派員協会で行われた記者会見において、詩織さんは、被害を公表する理由として、警察への不満を次のように伝えた。

  1. 警察の捜査官は、(性犯罪は)よくある事件で、捜査は難しいなどといって、被害届を受け付けようとしなかった。
  2. それでも被害を訴え、監視カメラの記録とホテル・タクシーの証言で、やっと捜査が開始されたのに、当時警視庁刑事部長中村格氏(現警察庁長官)が逮捕状の執行を停止させた。
  3. 詩織さんは、刑事司法が被害者のために動かないことから、顔も名前も出して自ら被害を公表することを決めた。しかし、警察の捜査官は、知名度が高い山口氏からの被害を公にすると、仕事を失い、業界で仕事ができなくなる、あなたの人生も終わる、と言って、それをやめさせようとした。

最初の告発記事となった週刊新潮 2017年5月18日()において、詩織さんは次の思いを語っている。
「性犯罪の捜査に関しては最初から被害者に諦めを強いているのが今の社会の現実。その仕組みを少しでも変えていきたい」

『再現』- 性犯罪の届出段階で警察官が行うセカンドレイプ

高輪警察署では、再現写真を撮るために恥ずかしい思いをさせられたという。

武道場の床にマットが敷かれ、3人の男性警察官の前で、詩織さんは横にさせられた。警察官らは、詩織さんの上に等身大の人形を置き、「こういう感じだったのか」と尋ねながら人形を上下に動かし、その様子をストロボを浴びせながら写真を撮ったのだそうだ。

上の動画は、BBC放送の『Japan’s Secret Shame』で作成された動画である。 BBCの番組では、捜査前に警察が詩織さんがしたことが問題視されている。一方、2022年2月13日にNHKが放映した『声をあげて、そして』に捜査が開始される前の描写はない。

番組が同じ問題を扱っているはずなのに、日英で異なる部分がフォーカスされることが、性犯罪タブー以上の桜タブー(警察批判タブー)が存在することが感じられてならない。

警察が被害届を受け付けないことがレイプ天国の温床

ここで、詩織さんが記者会見で筆頭に挙げた警察への不満を、もう一度確認してほしい。

  1. 警察の捜査官は、(性犯罪は)よくある事件で、捜査は難しいなどといって、被害届を受け付けようとしなかった。

被害届は、被害の存在を届け出る書類に過ぎない。証拠の有無にかかわらず、届け出は可能だ。届け出のあった『事案』にどの程度の捜査をするかについて、とうぜん警察判断が介在するだろう。しかしながら、捜査が困難だからといって、警察が被害者の届け出を拒絶する理由はない。

被害届を受け付けない警察官

ところが、詩織さんのケースに限らず、警察官は被害届を出そうとすると、被害届をあきらめさせようとする傾向が極めて強い。そうして、警察発表の性犯罪統計は、現実とかけ離れたものとなっている。現実の発生件数に対し、認知件数が極めて少ない統計が創り出されるのである。

犯罪の認知件数
5%は詩織さんが記者会見で言及した数値

警察の被害届受付け拒否により、レイプをはじめとした性犯罪の発生件数は見えなくなる。その結果、性犯罪の実情に即した警戒が広報されることもない。その一方、商業主義的な性表現ばかりが露出される社会は、レイプ被害者に向けられる偏見とタブーを増長し、被害者が沈黙せざるを得ない状況が固定化する。

結果、詩織さんが指摘したとおり、性犯罪の被害者のために、司法も社会システムも機能しないのである

その一方、性犯罪の補足率が極めて低いことは、大多数が捜査されないことを示している。とうぜん、性犯罪者は、捕まるリスクが低いことを理解する。これが重犯の動機となることは火を見るより明らかである。

逮捕にこだわる警察が被害者ファーストのケアを阻害する

ここで、刑事事件としてのプロセスにおいて、最大のポイントとなる逮捕状の執行停止について、補足したい。詩織さんのケースに限らず、警察の捜査官が逮捕にこだわるのは、「警察官が(悪人らしき人を)逮捕した」と報道させることによって、警察の活躍をアピールできるからだ。そして、『見せしめ検挙』は、事実上の制裁として機能している。

逮捕状の執行停止が、中村格氏(現警察庁長官)の指示だったかどうかはさておき、「安倍首相にもっとも近いジャーナリスト」と言われていた山口氏を、同じく安倍総理に近い警察官僚の中村格氏が庇護したとの推測は自然だろう。警察の活躍をアピールする材料として、山口氏は不適といった程度の判断なのだろう。

加害者の処罰か、それとも被害者ケア

警察は被疑者を逮捕してニュースにしたがるが、それが被害者にとって最良の選択とは限らない。国が加害者を罰しても、被害者に直接の恩恵はないからだ。そして、被害者の痛みを和らげるのは、謝罪と賠償である。事実、告訴状が出された後に示談が進行し、告訴状が取り下げられるケースは少なくない。警察が被疑者に「示談はどうなっていますか?」と聞くだけで、損害賠償の話しが争訟なしにまとまることだってあるのだ。

実際、交通事故においては、示談によって、不起訴になったり、減刑されたりしている。

伊藤詩織さんのケース

警察が、任意捜査でなく逮捕にこだわるのは、ニュースで警察の活躍をアピールできるからに過ぎない。

そして、詩織さんのケースでも、高輪署の警察官も任意捜査でなく逮捕にこだわった。

当時内閣官房秘書官で現警察庁長官の中村格氏が逮捕状を執行停止させたとの指摘は、

検察が嫌疑不十分で不起訴にしたのは、警察が捜査をしなかったことが背景にある。検察審査会の不起訴相当もまた同じである。つまり、刑事司法の機能不全は、一時捜査を行う警察の機能によるところが大きい。

詩織さんの検察審査会は不起訴相当とした

この記事は、詩織さんのアクションで警察が捜査を始めた後のことよりも、捜査が固有のケースとしてではなく、性犯罪、とりわけ薬物を利用したレイプに対し、刑事司法がまともに機能しているのかどうかを検討したい。

性犯罪の捜査をしない警察

レイプの分類と被害届と告訴状による認知

2017年10月に行われた詩織さんの記者会見の約3か月前の7月13日、改正刑法が施行され、『強姦』という言葉は条文から消えた。代わって、『強制性交等』という言葉が導入された。これはレイプが、性別を問わず行われることに対応したものである。もうひとつの大きな変更は、 レイプが非親告罪となったことだ。

レイプの分類と捜査の端緒

非親告罪となっても、 結局、警察の捜査の有無に左右される

親告罪では、告訴状なしに起訴されることはない。起訴されることのない刑事事件のために警察が捜査をすることもない。被害者が告訴状を出せば、警察は捜査と書類送検を、検察は起訴/不起訴を告訴人に通知しなければならない。(刑事訴訟法242条、260条)

非親告罪では、告訴状なしに起訴できるが、警察が捜査するか否かは警察次第だ。告訴状を出したときのような通知があるわけでもない。

親告罪と非親告罪

そうすると、非親告罪になったとしても、警察が進んで捜査をしなければ、何もかわらないこととなる。それは認知件数の推移を見ることによって検証が可能である。さらに起訴数と不起訴数の推移を読めば、法改正の効果はさらに明確となる。

犯罪情勢の基本データの提供さえ渋る法務省

そこで法務省に詳細なデータの提供を求めてみた。しかし、ほとんど嫌がらせのような壁を作られてしまい、改正の効果を検証することができない。

あまりにも納得がいかないので、法務省の担当者にデータを求めた際の通話記録を公開する。

法務省刑事局および情報公開窓口との通話記録(2022年2月8日)

有罪率99%、起訴率37%、検挙率90%、認知率は?

日本の司法の問題を示すキーワードとして、有罪率99.9%という数値がよく引き合いに出される。不幸なえん罪が発生する要因が、裁判所にもあることを見出そうとする数値だ。

この批判に対し、司法関係者は、検察が十分に吟味して起訴することが高い有罪率の原因であることを強調する。そして、警察はというと、検挙件数を持ち出して、重要犯罪の多くが『解決(犯罪捜査規範2条)』していることをアピールしている。

全体を把握するために、次の図表を参照して欲しい。

犯罪の受付

『犯罪受付の段階』がザル

認知率

最下段の認知件数が決まる段階は、いわば『犯罪受付の段階』である。現行犯で検挙されたケースを除けば、被害届の受理件数が認知件数となる。

認知率

警察は、検挙件数が一定の数値(重要犯罪で90%以上)にあることをことさらアピールしているが、詩織さんのケースで露呈したのは、警察が被害者の訴えを『 犯罪受付の段階 』で排除している事実だ。

被害届を受け取らない警察官

警察は、検挙率の分母となる認知数を減少させ、検挙率を良く見せているのである。刑事司法制度全体におけるレイプの取り扱い状況は次の図のとおりだ。

レイプの認知率交通事犯の認知率
レイプの認知率
交通事犯の認知率

『犯罪受付の段階』でこうした統計操作が行われていることは、検察や裁判所が仮に公正であったとしても、刑事司法全体の効果としては歪んだものとなってしまう。基礎となる数値(認知数)が現実(発生数)からあまりにもかけ離れているからだ。

殺人事件の受付段階もザル

性犯罪のみならず、警察は、こうした統計操作を漫然とおこなっている可能性がある。2020年から続く芸能人の不審死に対し、自殺偽装による犯罪死の見逃しを多くの人が指摘しているにもかかわらず、警察が事件扱いしなかったことだ。それも1件や2件ではない。

2020年の三浦春馬、芦名星、竹内結子、2021年の神田沙也加の不審死を考察した次の記事を読んで欲しい。

生きる権利を尊重しない国
https://protest.web-pbi.com/unnatural/human-rights

ジャーナリズムは第一次安倍内閣当時に死んでいる

誰もが他殺を疑う不審死なのに、警察が「事件性なし」と判断するケースは、芸能人に対してだけではない。多くのジャーナリストの不審死に対しても、警察はことごとく事件性を排除している。

第一安倍内閣(2006-2007年)当時、政財界の汚職を追及していたジャーナリストらが次々に不審死を遂げた。警察はいずれも「事件性なし」と判断し、ジャーナリストらは、何ら捜査もしてもらえず、自殺・病死・事故として処理された。以下、代表的な3人ジャーナリストを挙げる。

朝日新聞記者・論説委員 鈴木啓一 氏 (2006年死去)
リクルート事件のきっかけとなるスクープや政権批判の記事などで朝日の看板記者だったが、2006年12月17日に東京湾に浮かんでいたところを発見され、「自殺」として処理された。
朝日新聞社会部次長 斎賀孝治氏 (2006年死去)
社会部のデスクとして活躍していた斎賀氏は、耐震強度偽装事件発覚を精力的な取材し、事件の本質が①国が国の問題を民間人に責任転嫁していること②非公式後援会「安晋会」を通じた安倍晋三首相の資金源問題にあることを記事にしていた。その最中の突然の死去について、急性心不全と発表されたが、自殺や暴行などの死因が錯綜した。
読売新聞政治部記者 石井誠氏 (2007年死去)
竹中平蔵氏が所轄大臣だった頃より、同氏が進める郵政民営化やNTT解体などへの批判記事を多数執筆していた。自宅玄関先で、後ろ手に回した両手には手錠がかかり、口の中には靴下が詰め込まれ、その上から粘着テープが貼ってあった。警察は「事件性がない」と判断し、SMプレー中の事故死として処理された。

「こんな死に方をしたくないなら、同じこと(権力批判)はするな」

恐怖で相手を隷従させるやり方は、まるでマフィアの手口だ。同様の見せしめ殺人は、他国でも行われているが、とうぜん事件として扱われている。

日本が恐ろしいのは、誰もが見せしめ殺人を疑う事案を、警察が「事件性なし」と判断し、捜査はおろか、事件にさえなっていないことだ。

この頃を境に、手間のかかる調査報道を厭わず、権力腐敗の記事を書くジャーナリストはいなくなった。その一方、権力者にすり寄る『御用ジャーナリスト』ばかりが活躍するようになっていった。

Amazon

安倍総理を礼賛した本

詩織さんの告訴に対し、検察が不起訴を決定する直前に発売された山口氏の書籍。

山口氏が『安倍総理にもっとも近いジャーナリスト』と評されるわけだ。

性犯罪を減らすために最初にすべきこと

詩織さんの事件を契機とした性犯罪防止策の話しに戻ろう。

性犯罪を減らすために、最初にすべきことは、被害の実態を正確に把握することである。それなしには、性犯罪の問題が、解決すべき問題として認知されないからだ。

性犯罪がタブーとされる要因/タブーにさせない方法

詩織さんも指摘するとおり、被害者が声を上げられない原因は、性犯罪に対するタブー(と偏見)があるからだ。タブーが発生する要因には、男性優位の社会構造と通念、秘め事を公にしない慣習、物事を荒立てないことを徳とする伝統などがあげられる。

性犯罪をタブー視させないためには、その被害実態を正確に把握する必要がある。そのためには、性犯罪の特異性を勘案した被害届の様式変更を進めることが有効だ。そこに被害者が屈辱的な『再現』をしないですむように既定することもできる。

警察庁さえその気になれば、性犯罪専用の様式の導入は可能だ。事実、交通事故においては、被害届と告訴状の機能を備えながら、簡単に被害を届ける書式『簡約特例様式』が、警察庁主導で採用された事実がある。

交通事故の簡約特例

人身事故の加害者に対する刑罰は、かつて自動車運転過失致死傷罪(旧刑法211条の2)に一本化されていた。警察庁は、事務の効率を上げるために被害届に代わる書式 『(簡約)特例様式』を導入した。その結果、業務上過失致死傷罪(人身事故)の認知数は大幅に増加した。

統計上の交通事故件数と取締りの在り方に影響を与える法改正
被害者供述調書(簡約特例様式)
被害者供述調書

簡約特例様式中、被害者供述調書には、示談が進行しているか否かのほか、加害者の処罰を望むか否かを被害者に尋ねる項目が存在する。このことは、 簡約特例様式による『被害届』は、告訴状としての機能を兼ねていることを示している。

交通事故の届け出における簡約特例様式と同様に、性犯罪の届け出を簡易な様式での届け出を可能にしたなら、性犯罪の認知数は現実に近づけることが可能である。(参考:簡約特例様式の通達リスト

被害者と警察の双方にとって事務の合理化を実現した簡約特例の導入によって、交通事犯の認知率は概ね100パーセントとなった。下の図表のタブを切り替えて、レイプと比較してほしい。

レイプの認知率交通事犯の認知率
レイプの認知率
交通事犯の認知率

なお、交通犯罪の警察事務には、大きな問題がある。時間があれば、事故多発のプロパガンダを読んで欲しい。

正義のない国に変革が起きる可能性

この記事は伊藤詩織さんのケースを題材としているが、彼女のケースの背景には、あまりにも巨大なブラックボックスがそびえたっている。彼女自身、書籍タイトルの『ブラックボックス』が性犯罪現場と刑事司法のふたつを示すとしているが、彼女を閉ざした刑事司法のブラックボックスは、刑事警察制度の問題だけでなく、警察利権と政治の癒着を含んでいるようだ。

だから、当時警視庁刑事部長の中村格氏(現警察庁長官)が、『安倍総理にもっとも近いジャーナリスト』の逮捕を中止させたのだろう。

正義も希望もない国

「希望のない国」
2001年に書籍となった小説『希望の国のエクソダス』は、社会に蔓延していた閉塞感を「希望がない」という言葉で風刺した。それから20年が経過しても、日本は変わらず希望が見えないままだ。

さらに、ジャーナリズムが死に、権力にすり寄る「御用ジャーナリスト」ばかりが活躍するありさまは、この国が「正義もない国」であることを示している。

司法が正義を取り戻す可能性

いつの時代でも、どこの国でも、殺人やレイプなどの凶悪犯罪は常に発生している。それは、個人によるものもあれば、マフィアなどの犯罪組織によるものもある。

日本が恐ろしいのは、そうした凶悪犯罪に対し、警察がきわめて安易に「事件性なし」と判断し、なんら捜査をしないどころか、犯罪統計にもカウントしていないことだ。さらには、犯罪の見落としどころか、警察と犯罪者がグルであることを疑わざるを得ないケースがあまりにも多い。

国家の危篤的情況を感じさせるとどめは、報道機関が権力監視を放棄していることだ。誰もが殺人事件が疑うケースさえ、報道は警察発表を垂れ流すだけであり、体制の広報機関に成り下がっている。

変革できないまま失われた時間

日本が正義も希望もない犯罪放置国家というのは言い過ぎかもしれないが、『国のかたち』を根本から変える必要性は、1980年代から多くの識者らが提起してきた。その当時、多くの政策提言をしてきた大前研一氏の「日本は法律をゼロから作り直した方がいい」という印象的な言葉を覚えている。

なお、変革すべき対象が、縦割りの官僚制度/過度な中央集権、利益誘導型の政治/政官業の癒着であることは当時から変わっていない。何を変えなければならないかが分かっているのに、変えられなかったのである。改革を望む人々の期待もむなしく、常に改革は頓挫するか、実施されても骨抜きとされてきた。そうして『失われた20年』が30年を超え、それでも改革が行われる気配はないことから、多くの人は、改革への希望を失い、あきらめモードに入っている。だから投票率も下がり続けているのだろう。

ヒーローの出現を期待する人々

明治維新のヒーロー

古くは細川護熙、少し前の小泉純一郎や橋本徹、最近では小池百合子といった改革を旗印にする政治家は、改革への期待を満帆に受けるも、常にその期待に見合った成果をあげることはできない。おそらく多くの人が、明治維新のようなドラスティックな変革を期待するあまり、変革を実現するヒーローに大きな期待をし過ぎていたのだろう。

多くの人がヒーローの活躍による劇的変化を期待してしまうのは、あまりにも現実が汚れており、もはや自浄作用を期待できないと思っているからに違いない。

刑事司法がまともなら国の立て直しは可能

劇的な変革が期待できないのなら、小さな変革が恒常的に行われる社会を目指すのも一つの考え方だ。権力者らもつ権力が私益に向けられることは、現行法でも、その多くは経済犯罪である。経済犯罪は、性犯罪以上に厚いブラックボックスの中で行われているから、認知されないだけだ。

権力者の経済犯罪がもう少しまともに認知/捜査されるようになれば、それは犯罪への抑止力となり、「静かな変革」につながる。「静かな変革」は、ドラスティックな変革よりずっと現実的で、かつ、自然だ。

刑事司法をまともに機能させることによって、日本は再生が可能だ。言い換えると、刑事司法がまともに機能していないから「静かな変革」が行われなかったのである。

元エリート裁判官で瀬木比呂志氏が、著書『ニッポンの裁判』の中でおもしろいことを記している。

行政機構は、全体としてきわめて巨大であり、政治の世界や経済界と密接に結びついているから、その抜本的改革は容易ではない。たとえていえばゴジラの死骸のようなものであり、どこから手付けていいかもわからないし、どこを切っても放射能が噴出してくる。それに比べれば、司法は、マンモスの死骸程度だから、まだ何とかなる。しかも、抜本的改革の効果は、行政機構のそれに十分匹敵しうるのだ。これほど効率のよい国家機構の改革は、ほかにない。そのことをよく考えていただきたい。

ニッポンの裁判

刑事司法のブラックボックスは、その入り口となる『犯罪の受付』段階でふるいにかけられる。交通事案は100パーセント受け付けられるが、レイプは5パーセント程度だ。経済犯罪がレイプ以下の補足率であることは想像に難くない。

そうした補足格差が生まれるのは、もちろん犯罪特性にもよるが、警察のさじ加減によるところが大きい。どれほど立派な制度であったとしても、受付段階で門前払いされたなら、その制度は機能しない。そして、詩織さんのケースが示すとおり、警察官は性犯罪の受付を拒絶する傾向がある。

刑事司法の問題はあまりも多い。しかし、一般の人にとっては興味のないことであり、使用される言語が異なるほど異次元の世界なので、ここでは触れない。

刑事司法制度を正常に機能させることは、治安を正常にするためだけでなく、小さな改革が恒常的に行わるようにするための第一歩としても有用なことである。

そのために先ず、刑事司法の入り口となる『犯罪の受付』段階で、恣意的な扱いがなされないようにすべきと思うのであるが、やはり、抜本的な警察改革をしなければ、なにも変革されないように思えてならない。

執筆者プロフィール

野村 一也
ライター
 創世カウンシル代表

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