行政事件訴訟弁論1回目

行政事件訴訟弁論1回目

プリンシプルのない日本

プリンシプルのない日本

白洲次郎が著書のタイトルとした『プリンシプル』とは、物事の原理原則、あるいは、個人の信念信条を示す言葉である。ほとんど知られていなかった白洲が、近年、評価されているのは、この国から『プリンシプル』が完全に失われつつあるからだろう。

2013年5月、ジュネーブで開催された国連拷問禁止委員会で「中世の司法」と揶揄されたことによって、日本の刑事司法は面目を失った。権威主義にどっぷりつかった司法関係者としては、極めて恥ずかしい事態であるはずだ。

この問題では、捜査のあり方ばかりに注意が向けられているが、裁判所も同罪である。なぜなら、裁判所は「法律は常に正しい」という法律万能主義、それから「公務員は誤まった判断をしない」という公務員の無謬(むびゅう)を原則として審判しており、実質的に行政の追認機関に成り下がっているからである。

逃れることのできない公務員個人の犯罪が明らかとなった場合であっても、あきれるほど軽い処罰で済まされている。>>時代遅れの刑事司法

また、パチスロの換金を筆頭に、この国では誰が見てもおかしいことであっても、立法を担うはずの政治家は誰一人、所管官庁の既得権が存在する法律に手をつけようとはしない。

その一方、規制大国のこの国は、「箸の上げ下ろしさえ規制する」と言われるように、どうでもいいようなことを規制している。そして、国民は、法律を強制されるだけであって、それに対抗する手段はない。

国家賠償法、行政不服審査法、行政事件訴訟法の救済3法は、事後救済に過ぎないのである。またこれら救済3法で最終的に救済されたケースはあまりにも少ない。だから「行政訴訟はやっても無駄」と言われるのである。

  • 国家賠償法・・・この法が有効に機能しているという意見を見たことがない
  • 行政不服審査法・・・行政機関が自ら裁断を行うので、公正さに欠けている
  • 行政事件訴訟法・・・2004年に改正されたが、難解さは変わらない

救済3法が事後救済であるのに対し、公正な事前手続きを求める世界的な法体系整備の流れもあって、1993年に行政手続法が制定された。なお、行政手続法が制定された背景には、官僚主権の日本において、所管する業界を守らんとする過剰な保護貿易主義と、民主主義の形骸化を危惧する諸外国の外圧も存在した。

そして、行政手続法の目的は「行政運営における公正の確保と透明性の向上を図り、もって国民の権利利益の保護に資することを目的」と第1条に規定されている。しかし警察庁は、行政手続法の下位にあたるはずの道路交通法において、行政手続法の適用除外を規定している。

参照>>警察庁通達「行政手続法等の交通警察関係事務への適用関係について

お役所のビジネスモデル

お役所のビジネスモデル「法律は守るもの」と信じて疑わない人たちは、行政法に関わることなどはないであろう。しかしながら、官僚を志望して国家公務員1種試験に臨む人だけが熱心に読む行政法は、多くの問題を抱えている。

ところで、六法に行政法を合わせて七法以外の法律は、責任を転嫁する官僚の道具としての側面を否定できない。そして官僚たちは、法規制を背景にして、各業界に積極的な介入しようとする。だから、「箸の上げ下ろし」さえ規制され、お役所のビジネスモデルが自由競争下のビジネスモデルを席巻するのである。そして、官僚機構に守られた業界は、国際競争力を失う。

そして、官僚たちにとっての行政法は、国家が「行政運営における公正さと透明性を確保している」ことを示すためだけのアイテムだと言わざるを得ない。難解で使い勝手を悪くすることによって、法の目的に見合った運用ができなくされているとしか言いようがないのである。さらに、裁判官のほとんどが、常に法は正しいという前提で審判を行うことにより、官僚主権システムは、司法をも取り込んだことになる。つまり、三権分立が機能していないわけだ。

以上の国家に対する私見が示すとおり、私は裁判所に期待をしていない。訴訟書類をインターネットに公開するのは、裁判官ではなく、この国の問題を共有できる方々に期待してのことだ。

行政事件訴訟弁論1回目

行政事件で被告とした神奈川県(県警を被告にしたいが、現在の法律では県警でなく県を被告にせざるを得ない)の訴訟代理人には神奈川県警刑務部監察官室訟務係の13人の名前があったが、法廷に来たのは3人だった。うち2人が被告席に座った。

ちなみに各都道府県警本部の訟務担当者は、法律の専門家である。私の経験上、ほとんどが法曹資格をもたない検察交通部の副検事よりも法律を知っている。

そして傍聴人は、県警職員を除き、たしか3~4人だった。私は敵も多いので、ほとんど傍聴席に目を配らなかった。

証拠を整理するためのやり取りが中心となり、私はソロモンカーブの翻訳版と動画と追加証拠の説明書を提出した。裁判官は、音声をリライトするよう求めた。その際の「裁判所はそんなに暇じゃない」という裁判官の言い方から、私はこの裁判官への期待はゼロになった。

私はインターネット上で注目を集める作業ばかりに時間を費やしたため、訴訟そのものの準備をなおざりにしていた。前日になって、今日の準備を始め、徹夜で意見陳述書を書き上げた。これは法廷で読み上げるつもりだった。

陳述書を読み上げたい旨を裁判官に直訴したが、箸にも棒にもかからない返事。どうやら、私の思っていた弁論主義が行政訴訟では通用しないようだ。

私の裁判に興味を持って来ていただいた方には申し訳ないが、第1回目は、事務的なやり取りだけで終了となった。次回期日は、たしか7月14日に決まった。いずれにしろ、免停が終わる6月29日までに国家賠償請求を併合しなければ、この裁判は「回復すべき不利益がない」だけで終わりになってしまう。

いまだ国家賠償請求の書類は何も用意していないが、何とか期日までに提出できるように努力したい。

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執筆者プロフィール

野村 一也
ライター
 創世カウンシル代表

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