無念の上告棄却

ドライバーの声
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6月27日、最高裁判所から郵便物が届いた。僕の上告に対する裁判所の通知であることに間違いない。

その内容は、やはり棄却であった。

満身創痍

懲役を恐れ、僕は第一審を消極的に進めた。一審判決がたかだか罰金8万円で、検察が控訴しなかったことから、控訴審(第二審)はエンジン全開で争った。被告人が「要らない」と言っても、裁判所が勝手につける国選弁護人に対し「控訴趣意は被告人控訴趣意書の通り」と書くように指示をした。

独自に裁判所へ提出した書類は、概ね法曹関係者だけで通用する体裁にしたので、一般の人が見てもおもしろいものはない。

そのなかで、法曹関係者以外の人に分かりやすいのは、たぶん意見書だ。その他の書類と、裁判官に圧力をかけるつもりだったこのサイトの結果、僕の控訴は棄却された。

なお、2013年の司法統計によれば、99.29%が、「憲法違反をいう点を含め,実質は単なる法令違反,量刑不当の主張であって,刑訴法405条の上告理由に当たらない」とだけ書かれた決定のお手紙で棄却(門前払い)されている。

棄却数1,687÷{総数2,017件-取下げ318}=99.29%(2013年実績

上告趣意書を提出した後、2年強に渡るプロテスト(抗議)に区切りをつけた安堵感に満たされた。それは、自滅覚悟で敵艦に向かっていたのに、あえなく打ち落とされたような感じだ。

これは前の上告棄却のときと全く同じ感覚だ。

隔絶する情報(メディア)リテラシー

さて、警察や権力に反抗すること自体を美化する人たちがいる一方、それを感覚的に毛嫌いする人が存在する。毛嫌いする人の数は、美化する人の数の比ではない。

たまたま自転車で通りかかって撮影した動画は、僕の論調が激し過ぎたため、公開を凍結していた。

それをYouTubeに公開した理由は、毛嫌いする人を刺激してでも、露出を増やしたかったからだ。

僕の目論見(もくろみ)は的中し、YouTubeがのアカウントに小細工をかける以前には、1日の5,000件のアクセスがあり、毎日10件のコメントがついた。ただし、肯定的な意見は、10件に1件程度で、7件は罵詈雑言(ばりぞうごん)で、2件は「ルールを守らない方が悪い」といった程度の“哀れなほどに善人の批判”だ。

他人事に関心を持たない人たち

「どうせ負けたんだろ」

裁判所の問題を知らず、電車の中吊り広告を見ただけで、記事の全容を知ったかぶりをする人たちは、きっと、こう吐き捨てることだろう。

有罪を認定するだけの所

僕は、あわよくば勝訴するために鋭意の限りを尽くしてきた。しかしながら、争ったこと自体を誇るつもりは、これっぽっちもない。ただ、裁判で争うことが如何に(いかに)たいへんな作業であるかを、示したかっただけだ。

さらには、裁判で争うことに他人の理解が得られず、そして、それが如何に絶望的な作業であるかを見せたかった。そして僕は、『ニッポンの裁判』の本質的な問題が、そこにあると思っている。

今後の予定

再審の種は蒔いたので、ひとつひとつ積み上げて、再審請求するつもりだ。

執筆者プロフィール

野村 一也
ライター
 創世カウンシル代表

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