初公判

刑事裁判の日程はブログやフェイスブックで公開しなかった。不本意な弁論を人に聞かれたくなかったからだ。しかし、法廷に入ると、一人もいないと思っていたギャラリーが7~8人いた。開廷した後にもその数は増えた。最後に入ってきたのは、鋭い眼光と短髪から警察関係者だろうと推測した。

形式的な冒頭手続きのなかで、私は法廷の中央に立たされ検察官の冒頭陳述を聞かされた。

そして奥山豪裁判官は、黙秘権を告知した後に「(冒頭陳述として)読み上げられたに間違いはありますか?」と質問した。私は「いつもスピードメーターを見ながら走っているわけではないので分からない。ただし、測定された速度を争うつもりはありません」と答えた。

次に証拠調べが行われた。事前の証拠開示手続きで確認のとおり、検察は被告人側の証拠をことごとく不同意とした。しかしながら、現場動画は裁判官の判断で提出できることとなり、その場で書記官がDVDのプレイボタンを押した。

法廷には、裁判官、検察官、被告人側とそれぞれにモニターが置かれているほか、傍聴人にも見せられるように少し高い場所に大きなモニターが設置されている。当然、その大きなモニターに映し出されるかと思ったら、そうではなかった。担当の裁判官は、私の事件に関わらず、大きなモニターには写さない主義なのだそうだ。

ほどなくして、被告人質問の場面をむかえた。先に弁護人が質問し、次に検察が質問することになっている。

私は、弁護人の質問に答えるかたちで、動画での走行速度が時速50キロであること、いつもは同区間を時速70キロ程度で走っていること、事件当時は雨が降りそうだったので急いでおり、陸橋の坂道に差し掛かる地点ではそこからさらに加速したこと、などを供述した。

次に弁護人は、3度目の打ち合わせどおり、提出できない証拠を補うことを私に言わせるための質問をしてくれた。検察が提出を阻んだ、国家公安委員長が「取締りのための取締り」を指摘した報道を口頭で再現し、「歩行者の出てくる危険性もない道路」と本件取締り区間が一致することを主張した。さらに、日本の速度規制が海外に比べて著しく低いこと、超音波車両感知器の示す同区間の平均速度が時速73キロを示していること、それが50パーセンタイル速度に過ぎないこと、規制速度で走行する車両がいないことを述べた。

次に検察の質問に私が答える場面を迎えた。悔しいけれど、反論はしなかった。半年かけて集めた資料をベースに主張しようと思っていたことの多くを封印した。

それにもし、本気で争ったとしても、どうせ検察に証拠を不同意とされ、証拠なしで口先だけの主張となっただろう。

証拠調べが終わり検察の論告求刑の場面をむかえた。私が息の呑んで求刑を待っていると、検察官は「罰金8万円が相当」と求刑した。

予想に比較すると「あれっ」「なんだ・・・」と思えた、あっけない求刑だった。
論告求刑の後に「被告人、最後に言いたいことはありますか?」と聞かれたが、あまりにも予想と違ったので言葉がまとまらず「ありません」と答えた。

そして判決は5月20日に決まった。どう対応するかは、判決を待って考えることにしよう。

執筆者プロフィール

野村 一也
ライター
 創世カウンシル代表

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