事故リスクの低い速度違反ばかりの取締り
日本の規制速度は、欧米諸国に比較して明らかに低いにもかかわらず、「速度規制は適性」ということにされている。
だから、速度を大幅に超えた流れのある道路でさえ、少しでも規制を超えれば違反とされ、罰則が存在する。なお、取り締まりの対象となるか否かは、別問題だ。
模範運転を求められるパトカーでさえ、きっかり10キロ超過で我慢の走行を行う。パトカーに気付いたドライバーは、パトカーの前に出ることなく、すごすごとパトカーの後ろに続く。そうして、パトカー渋滞が発生する。
心のなかでは「邪魔なパトカー…」と思いつつも、交通規制に意見する術も、取り締まりに対抗する手段もないドライバーには、警察の存在価値を尊重するしか方法はない。もちろん、ほとんどのドライバーにとって、罰則から身を守ることが第一の動機だ。交通安全など、まったく関係がない。
四六時中、日本中の至る所で繰り広げられるこの馬鹿げた光景は、「違反は危険」とする規制絶対主義が原因である。しかしながら、日本以外の国では、日本よりもずっと速度規制は現実的で、かつ、「流れに乗ること」が交通安全のポイントとされている。
日本では、85パーセンタイル速度どころか、平均速度さえ下回る速度規制があちらこちらに存在する。そして警察官は、規制と現実がもっとも乖離したピンポイントで取り締まりを行なっている。
そして、理不尽を絵に描いたような取り締まりさえ「交通安全のためだ」と言い切る警察官。その一方、交通取締りのノルマに対しては、頑として認めようとしない。
法を盾にして〝安全な違反〟を取り締まる〝正義の警察官〟によって、ドライバーとライダーは、順法意識どころか、善悪の思考さえ破壊されている。