メディア仕掛けの社会秩序
「逮捕するぞ、逮捕するぞ」と元気な警察官のキャラクターが赤塚不二夫のマンガにある。 そして、現実社会でも、逮捕の必要性に首を傾げたくなるような些細な事案で、警察官は、逮捕権を乱発している。
法による制裁 < 逮捕による制裁
マスメディアは、警察から逮捕者の情報提供を受け、これをニュースとして扱う。そうして、実名で報道された逮捕者は、報道による事実上の制裁を受けることになる。
言わば『見せしめ検挙』による事実上の制裁が、法による制裁よりも、現実的な制裁として機能しているのである。
問題なのは、犯罪種別により補足率格差が極めて大きいことだ。例をあげれば、交通犯罪はもれなく捕捉され、レイプや経済犯罪は、ほとんど捕捉されない。次の画像のタブを切り替えて、比較してほしい。
つまり、逮捕・報道される事件が、警察のさじ加減によって決まっているのである。
検挙が困難な重要犯罪⇔検挙が簡単な交通違反
そして警察は、『検挙』が簡単な交通違反の取り締まりに対し、莫大な警察力を配分している。
はたして事件は解決したのか?
警察統計において、殺人事件の犯人逮捕も、シートベルト違反の反則処理も、ひとつの『検挙』だ。逮捕さえすれば、検挙1がカウントされる。検察の起訴/不起訴も、裁判所の有罪/無罪も関係しない。そして警察は、それら検挙を、犯罪捜査規範における「事件解決」として扱う。
その結果、些細な事案に逮捕者(見せしめ検挙)を量産する一方で、自殺や事故を偽装した殺人ほか、捜査が困難な重大犯罪の見逃しが横行している。
さらに太刀が悪いのは、警察庁が『大きな網』を使っていることだ。警察庁は、道路交通法を所管し、事実上の規制権を持ち、そこで『大きな網』を使って、些細な交通違反さえ検挙対象としている。そして警察は、悪質性の低い交通違反ばかりを『検挙』している。
悪質性の高い犯罪はザル状態
『大きな網』を使っての『見せしめ検挙』に治安の効果はないに等しい。それなのに、警察は、まるで大事件を未然に防いでいるかのような自画自賛を何十年も続けている。
最悪なのは、網にかかりやすいサカナたちに限りのある警察力が注がれる結果、犯罪常習者の行う捜査が困難で悪質性の高い犯罪への対応がザル状態となっていることだ。
そして、日本は正義も希望もない犯罪放置国家となった。