「事故多発!」のプロパガンダ
「事故多発!」のプロパガンダ
おびただしいまでに全国に設置された悲惨な事故多発を告げる看板。 その多くは「速度注意」など、違反への注意喚起が添えられている。 「取締強化」「緊急対策」など警察力を誇示するものも少なくない。 しかしながら、増加したのは軽症事故であって悲惨な事故ではない。 統計上の軽症事故が増加するように設計された警察の事務と 意図的に隠された交通事故統計の内訳を明らかにすることによって 戦時中のプロパガンダに匹敵する警察の印象操作の問題を追求する。
警察庁は、2月27日に平成25年中の交通事故の発生状況を、3月20日に平成25年中の30日以内交通事故死者の状況を発表した。これら交通統計は、警察白書にも掲載され、交通施策のバックボーンとなっている。 これら交通事故統計と統計に対する総括では、悲惨な交通事故が多発していることが強調されている。しかしながら、警察が決して自ら発表しない事故統計の裏側をみれば、悲惨な事故は多発しておらず、道路社会に警察が積極関与するためのプロパガンダに過ぎないことが明らかとなる。 まず、警察庁が発表した交通事故の発生件数・死傷者数の推移のグラフを右に示す。 警察庁が統計する交通事故は、1966年以降は人身事故のみとなってなっている。また、重症者と軽症者が分類されたのは1970年からである。全体に対し、死者数が少ないことから、死者数を別表にする理由はある。しかしながら、重症者と軽症者はグラフに折込可能であるにもかかわらず、織り込まれていない。そこで、重傷者と軽症者の内訳がわかるようにグラフを作成した。 なお、死亡事故を赤い線で入れたが、数がすくないので、グラフ横軸に重なりほとんど認識不能となっている。重傷者と軽症者を区分した上の表を見れば、人身事故のほとんどが軽症者で占められていることがわかるはずだ。ここで軽傷者数・重傷者数・死者数を別々の表にした。
ここではっきりするのは、2000-2005年にかけて事故発生件数がピークを示した原因が軽傷事故の増加にあることだ。次に、上右図に事故統計に大きな影響を与える法令改正を加え、拡大した。
- 交通反則通告制度
- いわゆる反則キップの導入によって、交通違反の処理が楽になり、交通取締りが積極的に行われるようになった。
- なお、同時期に救急センターが全国に整備され、救急車が迅速に事故現場に駆けつけるようになっていった。
- 特例書式による事故処理
- 被害程度の軽い事故用に簡易書式が採用され、交通事故の処理が楽になった。
- 交通安全対策特別交付金制度
- 交通反則通告制度で集められた反則金が警察の予算に流れるようになった。 「事故増加」→「取締りの正当化」→「警察予算の拡大」のサイクルが完成した。
- 簡約特例書式による事故処理
- 診断書上の加療機関が2週間以内なら、より簡便な事故処理ができるようになった。書式はチェックを入れて署名させれば完成する程度である。 被害者供述調書には、被害者に加害者の処罰を望むか否かを記す欄があり、その問題は後に記す。
以上のとおり、多発しているのは「悲惨な事故」ではなく軽症事故である。そして、軽症事故が増加していた最大の要因は、交通事故を処理する事務の変化にある。 そのなかでも簡約特例には大きな問題がある。簡約特例書式においては、示談の進捗状況と相手の処罰を望むかを書式に織り込んでいるが、本来ありえない項目である。 刑事司法の目的は、治安維持であって、代理報復ではない。それゆえ、たかが一時捜査の警察官が当事者の処罰感情を調書にすることは、理不尽であると言わざるを得ない。そして、この条項の存在によって、警察官は示談の経過、すなわち民事に介入する。それが加害者への刑罰を背景にしているからたちが悪い。そもそも論として、起訴しないことが前提となっている簡約特例において、処罰に関係する項目が存在すること自体がトンチンカンである。 また、簡約特例書式は、加害側が「事故を起こした」、被害側は「事故にあった」となっており、事故の発生要因が加害側だけに存在するかのように様式が固定されている。このことは、ケガをしたら被害者で、ケガをさせたら加害者、こんな安直な事務処理を警察官が当然のように行っていることを示している。 なお、わが国は出来高払いの医療制度をとっているため、整形外科で「痛い」と主張すれば怪我がなくても診断書は必ず手に入り、間をあけて2回いけば、自動的にその間が加療期間になる。一方、加害側が医者の診断書に対抗することは不可能である。 このように、簡約特例は、医師の診断書を悪用したタカリ行為を助長していると言わざるを得ない。現実として、日本の事故件数は異常な数字を示している。
異常な数値を示すのは、重篤な事故が多発しているからでなく、あまりにも多くの軽症事故が日本の交通事故統計に計上されているからである。それなのに、日本中のあらゆる道路で「死亡事故急増!」「重大事故多発」といった、重篤な事故を強調した看板が、国民に交通事故の恐怖を植えつけている。 電光掲示板では、事故の恐怖をあおる文句に添えて、「速度注意」「違反は危険」といった文句が並んで点滅している。サブリミナル効果を利用して、交通違反が悲惨な事故を増加させているかのような“刷り込み”をしているのである。 こうした警察の印象操作が、交通規制を聖域化し、取り締まる正義を揺るぎないものとしたのである。 そして、これら大掛かりなプロパガンダによって、不合理な交通規制と理不尽な交通取り締まりに対するドライバーの不満は封殺される。 一方、道路交通の現実を知らず、ただ恐怖に訴える警察広報に扇情された非運転者は、「交通違反は犯罪だ!」「悪質な運転は許さない!」といった安っぽい警察広報を疑うことなく消化し、交通違反者に目くじらを立てる。 こうして、非運転者を運転者に対立させる警察の分割統治が完成する。執筆者プロフィール
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