取締りがなくても事故は減る
記者クラブを通じて報道されるのは、センセーショナルな大事故ばかりだ。だから、交通事故と聞くと、多くの人がそうした悲惨な大事故をイメージしがちである。
しかし現実、悲惨な大事故は、極々一部に過ぎない。
人身事故の要件
人が血を流して倒れているような事故が人身事故なのは当然だ。問題は、人身と物損のグレーゾーンのどこに線が引かれているかである。
わが国は出来高払いの医療制度を採用しているため,整形外科で「痛い」と主張すれば怪我がなくても診断書は必ず手に入り,間をあけて2回いけば,自動的にその間が加療期間になる。
そして、2週間以上の加療期間が記された診断書さえあれば、警察官はそれを人身事故として処理している。一方,加害側が医者の診断書に対抗することは不可能である。
異常な数値を示す事故統計
右図は、内閣府が発行する平成17年判交通安全白書に収録されたデータ諸外国の交通事故発生状況から必要な数値を抜粋し、計算したものだ。
クルマの数と道路延長の差異を埋めて示すと、日本では、他の国の2倍以上の交通事故が発生している ことになる。
このように他国と比較するとニッポンの人身事故は極端に多い。国家的な異常事態としか言いようのないありさまだ。
警察発表の事故統計
次の図表は、平成25年警察白書138ページから抜粋した。単位の異なる数値がひとつの図表に描かれており、結果,死者数が大きく見えるようになっている。
単位をそろえ,また,受傷程度別負傷者数(重傷者数と軽症者数)がわかるようにした。
軽傷者数・重傷者数・死者数を別々の表にした。ただし,グラフの変動を見やすくするために単位は揃えていない。
ここではっきりするのは,2000(H12)-2005(H17)年にかけて事故発生件数がピークを示した原因は,軽傷事故の増加が原因である,ということだ。さらに,軽症者のグラフに事故統計に大きな影響を与える法令改正を加えた。
以上のとおり,多発しているのは「悲惨な事故」ではなく軽症事故である。そして,軽症事故が増加していた最大の要因は,交通事故を処理する事務の変化にあることが容易に予想できる。(詳しくは>>事故を半分に減らす方法)
人身事故を減らすには
- 人身事故発生件数を減らすには
- 警察の取締りには、警察予算を増やす効果はあっても、事故を減らす効果はない。それに道路の整備と車両の安全技術の向上により、これからも人身事故は減っていく。
- さらに減らすには、簡約特例様式の対象で、かつ、医師の診断書を利用したタカリ行為の根源である加療期間が2週間以内の事故を罰則と自賠責の対象からはずせばよい。それだけで人身事故は半減する。同時に医師の診断書を利用したタカリがなくなり、自賠責の保険料は、本当に必要なところに流れるようになる。
- 一握りの悪質な事故を減らすには
- 本来、社会の秩序の柱となるのは、個々人の良識に基づいた行動である。誰だって、事故の当事者にはなりたくないし、規制がなくとも、安全に配慮した運転をしているものである。一方、この国の警察は、警察力(強制力)で交通安全が成り立っているかのような広報を盛んに行っている。
- 実勢速度を勘案することなく不当に低く設定された速度規制によって、多くのドライバーとライダーが日常的に法律違反を行っている。
- これら法律違反に対し、警察官はいくらでも警察力(強制力)を執行できる。 この状態は、「警察消極の原則」と「警察比例の原則」から、完全に逸脱している。道路社会に限定すれば、この国はおぞましい警察国家になってしまっている、といっても過言ではないだろう。
- 警察国家でありながら、警察力は弱い者ばかりに向けられている。ノルマに追われた警察官が楽して安易な違反ばかりを検挙しているため、捕まるのは警察の手口を知らない若年者ばかりだ。これが「捕まるやつはバカ」といわれるゆえんだ。
- 本当に悪質な者は、警察の取締りには捕まらない。だから、規制を現実的なレベルに改正し、ノルマを見直し、警察力が悪質な違反に向けられるようにすれば、少しは効果があがるだろう。ただし、その効果は、取締りに対する恐怖がもたらすものではない。警察の理不尽な取締りによって失われた良識が、正常な状態に戻ることによっての効果だ。