政治家が警察の問題を放置する理由
「箸の上げ下げを規制する」
わが国はこう揶揄されるほどの規制大国である。
ほとんどの法律と、すべての例規をお役人(官僚)が創る。また、お役人の責任を排除するため、何かあればすぐに規制する。そうすることによって、「守らない方が悪い」と責任を転嫁できるからだ。
政治家は大臣の椅子に座らせて、責任を押し付けられているだけだ。大臣という役職が名誉なことだから、政治家が喜んでいるに過ぎない。
お役人は、何でもかんでもに法令に織り込み、法体系全体をどんどん複雑にする。法律を複雑で難解にすればするほど、その法律分野の専門家でなければ、全容を理解できなくなる。そうして政治家を手玉にとり、政策はもちろん、立法においても官僚が主導権を握るのである。そうした難解な法律の代表が政治資金規制法と公職選挙法である。
政治資金規制法と公職選挙法には、グレーゾーンが多く存在する。どの政治家も詳細に調べ上げられれば、大小の違反があるという。つまらぬ違反で失脚したくない政治家は、警察ネタに関与しようとはしない。
1999-2000年の警察不祥事においても、警察改革の旗を振る政治家はおらず、みな及び腰だった。一過性の世論に流されて、警察を敵にしたくないのだろう。
そういえば、2005年の衆院選で、絶頂期で当時ライブドア社長の堀江貴文氏は、元警察官僚の亀井静香氏と争った。堀江氏の人気が先行するなか、雨に濡れて投票を懇願する亀井氏の様子を記憶している方もいるだろう。結果、堀江氏は落選し、翌年には、証券取引法違反容疑で東京地検に逮捕され、後に実刑判決を受けた。このケースを見て、身を引き締めた政治家もいたはずだ。
警察に族議員がいないのもこうした理由からである。