国家の正体
日本は民主主義国家ではない
「日本は世界でもっとも成功した社会主義国家」
社会主義国家だったソ連のゴルバチョフ書記長をはじめ、複数の識者が、日本は民主主義国家ではなく、実質的には社会主義国家であると指摘している。
「(日本はアメリカの)51番目の州」「植民地」「属国」
これは、故浜田幸一氏がテレビでよく口にしていた言葉だ。
1.2.とも「日本の民主主義」を否定する意見である。民主主義の本質は選挙による民意の反映なので、日本が民主主義国家ではないとしたら、政治家にも選挙にも存在価値はないことになる。
内閣を構成する大臣は各省庁のフロントマンに過ぎない
現実として、歴代各大臣の多くは、官僚が決めた政策を代弁する程度の仕事しかしていない。
内閣に予算編成権があることになっている。しかし、現実には、各省庁が自分の取り分を財務省に要求し、それを財務省が取りまとめたものが予算案となっている。内閣はそれを追認しているに過ぎない。そして、全体からすればわずかな予算を確保して、独自政策がアピールされているだけだ。それゆえ、誰が大臣を務めても、国家の大勢は変わらないのである。
そして、国会での予算審議は、通過儀礼に過ぎない。「何も決められない国会」が形式的に運営され続けているだけだ。ついでに書けば、法律のほとんども官僚が発案している。
任命権と人事権は異なる
各大臣は、建前(国家公務員法第55条)上の任命権者であるが、いわゆる人事権を行使しているわけではない。形式を重んじる日本の『任命』は、どちらかといえば形式的な作業だといえる。
2014年の第2次阿部政権下において、内閣人事局が設置され、各省庁の幹部人事を内閣官房(首相の補佐機関)が一元管理することとなった。こちらは単なる任命権ではなく、人事権といえるものだ。ただし、内閣官房が幹部人事を所掌することによって、かえって各大臣の任命権(人事権のようなもの)が軽視されることにつながる。
その結果、各省庁の幹部らは、各省庁トップであるはずの国務大臣を飛び越え、総理大臣の顔色をうかがうこととなった。そうして、『忖度(そんたく)』という新たな弊害が生まれた。
国家(=日本国政府)の正体
日本国政府の実態は、中央省庁がそれぞれの分野を縦割りに支配する構図となっている。「完全なる棲み分け」ができているので、所管する分野に他省庁が口をはさむことはない。そうして各省庁は、誰にも関与されることなく、すくすくと育っている。つまり、国家の正体は、これら縦割りの官僚機構とその構成員たちである。
中央省庁に仕切られる地方自治
地方自治の制約
この国は地方自治の体裁をとっているものの、現実には、中央省庁が地方自治の多くをコントロールしている。
地方が作る条例はその多くが横並びだし、県議会や市議会の存在意義は疑わしいものだ。
国から地方へと流れる全国一律のお役所仕事は、おそろしく複雑だ。だから、それぞれの筋の専門家でもなければ、ちゃんと理解することはできない。また、ひも付きの補助金によって、国は自治体をコントロールしている。
これらの制度によって、地方自治は大きな制約を受けている。その結果、ほとんど横並びの地方行政ばかりが行われているのである。
本質的な問題の解決は常に先送り
1993年に日本新党が38年ぶりの政権交代を実現して以来、改革を求める人々の期待は、ことごとく裏切られ続けている。行政府の腐敗を抜本的に正す施策は、いつも実行されないか、あるいは骨抜きとされてきたのである。
20余年が経過しても根本的な解決が実行に移される気配はなく、現在では、多くの国民があきらめモードに入っている。
なお、行政府の腐敗は金権行政というひと事で表現できる。そして、金権行政の最大の土壌が公益法人である。
公益法人制度改革3法の施行により、整理は遅々として進みつつあるが、天下りの抑止や利益構造に対する抜本的な改善策は存在しない。
僕が選挙に行かない理由
「選挙に行こう!」
こう呼び掛ける人たちは、制度の存在理由を尊重しているのだろう。しかしながら、選挙の投票率は、今後も最低値を更新を続けるはずだ。
投票率が下落傾向を示す原因のひとつは、日本の民主主義が機能不全に陥っていることを、多くの人が感じ取っているからだ。さらに、民主党の悲惨な結末によって、政党政治の限界を見せられ、失望し、そして、投票する行為にすっかり希望を失っているからである。
投票したい候補者などおらず、選挙に何も期待していないのに、誰かに投票すれば「民主主義の存在を示す儀式」に加担することになってしまう。
義務的に投票することで、民主主義の体裁を取り繕う作業に協力するくらいなら、サボタージュによって、制度への不満と当選者への不信任を示したいと思うのは私だけではないはずだ。
投票という行為に対する絶望と期待
2015年5月17日、統一地方選のあとに行われた大阪都構想の是非を問う住民投票の投票率は、統一地方選を遥かに超える66.8%となった。
この投票率の大きな差には、地方自治を含めた行政に対する有権者の絶望と期待のギャップが示されているといえるだろう。