偽りの三権分立
政府(Gevernment)とは霞ヶ関の中央省庁
いつしかテレビのニュースキャスターは、国家として為された意思決定の主語を「政府自民党」と言うようになった。しかしながら、本来の「政府」は、国の統治システムそのものを示す言葉である。つまり、「政府」とは、三権分立の視点で言えば行政(府)にほかならない。一方、国会議員(政治家)に求められる職能は、立法にあって、政治(=行政)ではない。
それゆえ、「政府自民党」という言葉は、統治システムの責任を政治家に転嫁するための方便にほかならない。
官僚の政策の責任を押し付けられるだけの大臣
現実として、内閣を構成する大臣は、政党内の権力闘争で席に収まるだけだ。選出された大臣の多くは、その役所が所管する事務に対し、専門性を持っていない。さらに残念なことに、「行政の長」を標榜しているにもかかわらず、人事権を行使するどころか、役人の仕事ぶりを査定することさえできない。
行政(=国家を統治する事務)の素人である大臣たちは、人生のすべてをその省庁に預けた専門家集団の中、ひとりで組織の長を演じているに過ぎないのである。
任命権と人事権は異なる
各大臣は、建前(国家公務員法第55条)上の任命権者であるが、いわゆる人事権を行使しているわけではない。形式を重んじる日本の『任命』は、どちらかといえば形式的な作業だといえる。
2014年の第2次阿部政権下において、内閣人事局が設置され、各省庁の幹部人事を内閣官房(首相の補佐機関)が一元管理することとなった。こちらは単なる任命権ではなく、人事権といえるものだ。ただし、内閣官房が幹部人事を所掌することによって、かえって各大臣の任命権(人事権のようなもの)が軽視されることにつながる。
その結果、各省庁の幹部らは、各省庁トップであるはずの国務大臣を飛び越え、総理大臣の顔色をうかがうこととなった。そうして、『忖度(そんたく)』という新たな弊害が生まれた。
政治家のゴシップばかりを報道するメディア
そして、テレビや新聞の報道は、統治システム(=Government)そのものや、そこで実権を握る政府高官(=官僚)の問題を指摘することない。一時だけ「行政の長」の席に座った政治家の失言やスキャンダルを面白おかしく報道するだけだ。