週刊誌が行政批判を止めた理由
「母屋はお粥、離れはしゃぶしゃぶ」
2003年に当時の塩川財務大臣は、政治の影響が及びにくい特別会計で、役人が無駄使いをしているとわかりやすく批判した。
2009年ころまでは、政治家だけでなく、週刊誌のなかには、役人の無駄使いを独自に取材し、それを批判する記事がたくさん存在した。なお、テレビと新聞が表面的な批判しかしないのは、今も昔も変わらない。
それが現在、週刊誌の行政批判はすっかり下火になった。政治家のスキャンダルや失言をおもしろおかしく突っつく程度の記事ばかりだ。
2009年に変革への期待を満帆に受けた民主党が、比例区で選挙史上最高の得票を記録し、政権を獲得したにもかかわらず、何もできないまま失脚したことが直接の理由だろう。
「腐っても官僚」
脱官僚を旗印にした民主党があまりに無残な結果を残したことが、そんな官僚依存への反動を発生させたことに間違いはないだろう。
週刊誌が行政批判を止めた理由に戻ろう。週刊誌が掲載する記事には、硬派な記事と軟派な記事がある。前者は政治行政の記事に代表され、後者は芸能記事に代表される。
週刊誌は販売数が生命線であり、掲載記事が興味をもたれるか否かで発行部数は大きく変動する。電車の中吊り広告に刺激的なタイトルが並ぶのは、AIDMAの法則を利用して発行部数を伸ばすためだ。
変革指向から安定指向へ
民主党の失脚後、大衆の興味は変革から安定に移った。大衆が見たいものを提供することが、発行部数を伸ばすセオリーである以上、週刊誌が、変革を期待する人より、安定を志向する人にターゲットを絞るのは当然だ。行政批判をしても、民主党の悲劇を思い出させるだけだ。
それに独自取材で天下りや公共事業の談合・贈収賄を記事にするのは、とても手間がかかるし、作業が楽しくない。楽しくないどころか、かなり苦痛な作業だ。お役人が表に出そうとしない情報をさまざな手法で“捜査”し、客観性をもたせる証拠を獲得しなければ記事にはならない。ようやく証拠が揃っても、記事を書く作業は、極めて精神衛生に悪い作業となる。分かりやすく書くことが、もともと困難な材料だからだ。
「まるで地獄絵図!△×道路で多重事故発生!!」
「不倫報道で涙の謝罪!アイドル□△が釈明」
こんなタイトルで、既知の情報を後追いした記事の方が、発行部数に貢献するのなら、週刊誌から硬派な記事はそのうちなくなってしまうのかもしれない。
なお、本サイトは3つの裁判が終わるまでの時限付きで更新を継続します。