voice of drivers

このサイトについて

このサイト「本当のことが言えない国」は、母体となるサイトPBI -Public Bureau of Inspcetionから、速度規制の話題をベースにしながら、現時点で調べ得る最新動向に対する考察を加え、再構成したものだ。主たるコンテンツは、私自身の速度違反を争う裁判のプロセスとなり、理不尽な交通規制とその取り締まりを改善させることがその目的である。

Public Bureau of Inspection

PBIは、道路ユーザーのための道路交通行政を実現を目指して1999年に立ち上げたものだ。当時、横浜から北海道に転居した私は、道路交通の現実と規制との大きな乖離(かいり)を感じた。

何しろ、まるでグライダーの滑走路のような農道がいたるところにあり、それらがすべて時速50キロメートルに規制されているのだから。決して飛ばそうとせずにクルマを走らせても時速80キロ、仕事で急ぐ人は時速100キロを超えることが普通の道路だ。

ツアーバスツアーコンダクターのアルバイトをしたときには、客を満載した観光バスが、時速50キロ規制の道路を、時速90キロ超で走行する事態に何度も乗り合わせた。そうしなれば、道央から阿寒湖に移動して、道東観光の目玉である遊覧船の最終便に間に合わないからだ。つまり、観光バスの時速40キロ超過の速度違反は、旅程に組み込まれているのである。

私は、現実と規制とのあまりに大きなギャップから道路交通行政に興味を持ち、後述する最初の裁判を経て、問題の根の深さを実感した。そしてインターネットの可能性を信じて、PBIを開設した。なお、PBIはFBIをモジっており、Public Bureau of Inspcetionは民間の検査院を意味する。

当時は、インターネットの黎明期であり、それが閉じられた官僚社会のとびらを開くカギとなると期待されていた。私自身も、本気で「警察を変えられる」と思っていた。ただし、PBIこのサイトについてに記したとおり、静かな変革を期待するものであって、自分自身が前面に立って争う気はなかった。しかし今回、思うところあって、自分自身の速度違反を材料に争うことにした。

なお、規制速度の妥当性は、地域によって大きく異なります。もし貴方が「速度規制は現状のままでよい」とお感じなら、貴方の地域はそれが妥当なのかもしれません。しかしそれは、全国一律の規制を正当化するものではありません。

私自身について

司法と行政への不満から裁判となるのはこれで3度目だ。

加害者(私)が被害者に損害賠償を請求

札幌の事故最初は1998年、これは民事事件で。警察が認定した交通事故の加害者(私)が被害者に損害賠償を求めた争いだった。札幌・南大通りのテレビ塔近くで、片側3車線の最右側車線に停車していたクルマに、私が注意をしたことから口論となった。

相手は3人のチーマーでケンカ慣れしているのか、私に手を出そうとせず、ひとりが「ここはジャマだから移動しよう」と促した。移動する私のクルマに、別のひとり(S)が足を差し入れ、タイヤで踏ませた。彼らは、「踏んだ、踏んだ、救急車!」と大喜びで救急車を呼んだ。

後日、私はSらが求めた示談の場に出向き、示談金を求めるSらに対し一切の賠償を拒絶し、任意保険も使わないことを宣言した。Sは「人身にするぞ」と脅したが、私は「結構です」と答えた。>>後に提出した証拠

結果、Sらは、診断書を添えて、私が示談に応じないことを札幌方面中央警察署に上申した。そして私は、業務上過失傷害事件の加害者にされてしまった。警察は、おそろしく事務的な対応で私の言い分を聞く気はまったく感じられず、医者の診断書の存在だけですべてが決められていった。なお、行政処分は争っても無駄だということを痛感さえられたが、刑事処分は不起訴となった。

民事では、民事調停を経たうえで、札幌地裁に損害賠償請求を起こした(札幌地裁平成9年ワ2502号)。相手は医者の診断書を金科玉条とし、弁護士を立て反訴した。私は弁護士を頼らず、ひとりで約1年争って、なんとか裁判所に言い分を認めてもらうことができた。>>判決文

なお、当時の私は、医療機器メーカーに勤務しており、毎日医者を相手にしていた。そして、勝訴のポイントとなったのは、再現動画と、単位面積あたりにかかる圧を計算し、足をクルマに踏まれた程度で怪我にならないことを立証できたこと。それから、Sらが求めた休業補償の虚偽を立証できたことだ。

軽微な事故で禁固1年執行猶予3年

再現動画2度目の裁判も交通事故における医者の診断書がポイントだった。こちらは、刑事被告人として立件された事件(横浜地裁H18あ346号)だ。

2004年、クルマで通勤中、前に飛び出してきた原付バイクとの接触事故である。相手は、衝突前に転倒し、ひざを擦りむいた程度だ。緊急回避でコントロールを失った私のクルマは、横断歩道を渡りはじめた老人の前で停止した。事件を担当した加賀町警察署交通課交通捜査係高橋正人巡査(当時)は、横断歩道の老人(私は事故直後に証人を依頼していた)を証人とするよう求めても応じず、原付バイクが指定した証人だけを証人とした。

そうしているうちに、横断歩道の老人は、医者の診断書をチラつかせて、私に休業補償をせびってきた。私がそれを拒絶すると、老人は加賀町警察署に駆け込んだ。加賀町警察署は、私の求めでは証人にしなかったのに、被害者として現れた老人の話しには耳を傾けそれを調書にし、検察に送った。一方、加賀町警察署交通課田中課長(当時)は、私が提出しようとした陳述書の受け取りを拒絶した。

検察に呼ばれた私は、被害者との示談があって当然であるかのような五十嵐副検事の論調に対 し、「どうして赤で進入した相手と示談する必要があるのか」と反発した。また、五十嵐副検事の「警察を追認するのが検察の仕事だ」との 言葉を批判し、また、供述調書の写しを供述者に渡さない理由を追求した。さらには、五十嵐副検事の「医者の診断書は絶対だ」「医者の診断を覆すには怪我の ないことを示す診断書が必要だ」といった旨の言葉に対し、「あなたたちが(医者の診断書を盾にした)詐欺を蔓延させているんだ」と強く非難し た。

結果、私は五十嵐副検事に起訴され、最高裁まで争った末、禁固1年執行猶予3年の判決を受けた。この事件は、私が裁判所に提出した資料を公開しているので、ご興味があれば参照してほしい。

>>お医者さまの診断書に対抗できるか-ケースステディ2-

今回の事案

そして今回は交通事故ではなく、ただの速度違反だ。

場所は、20年以上前から、神奈川県警交北警察署が速度違反取り締まりのあさり場としている場所だ。私はオートバイで走行中に42キロの速度違反で捕まった。単に超過速度て安易に判断するのでなく、追って、さまざま資料を閲覧できるようにするので、それを見て判断してほしい。

「妥当な速度規制は時速80キロメートルであり、そこから時速12キロの違反に過ぎない。」これが私の主張だ。

争いの報酬

ちなみに私は、前2回の裁判で仕事を辞めている。その理由は、証拠を集める作業と各種書類を整える作業が片手間ではできなくなったからだ。最初の裁判で得た損害賠償は10万円。これは裁判の労力に照らして、割りに合う対価ではない。

2回目の裁判は、刑事被告人だったので、防御するしかなかった。ただし、医者の診断書を盾にしたタカリを容認し、警察と検察の権威にひれ伏せば、そもそも起訴されるような事件ではなかった。

そして今回の速度違反。穏便にすませば、罰金8万円程度と90日間の免停だけだ。それを好しとせず、また会社を辞めざるを得ない事態に追い込まれることを覚悟して争うことを決めた。

理由は、交通安全を名目にした権力の濫用に対する反発と、変革への期待だ。

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