2014(H26)年9月26日

2014(H26)年(う)1049号 道路交通法違反事件
東京高等裁判所第8刑事部御中

野村一也の印

被告人  野村 一也

 

意 見 書

はじめに

刑事訴訟法第388条に「控訴審では,被告人のためにする弁論は,弁護人でなければ,これをすることができない。」と規定されている。それゆえ,被告人は控訴審において自ら弁論をすることができない。しかしながら,被告人が,自分の刑事責任を追及される法廷において,自らの弁論を要望することは当然である。それゆえ,控訴審の法廷で唯一,被告人が意見を述べる機会である冒頭陳述において,被告人は,本書面中,「被告人冒頭陳述を希望する内容」の項を被告人冒頭陳述として陳述することを求める。

なお,被告人が被告人冒頭陳述を希望することを東京高裁第8刑事部に打診した際,小暮書記官が本書面の表題を「意見書」とするよう求めたため,被告人は本文書の表題を「意見書」とした。

被告人冒頭陳述を希望する内容

被告人冒頭陳述においては,警察庁とすべての都道府県警察本部を合わせて単に「警察」とする。

本件取締りの行われた区間は,規制速度は時速50キロメートルであるが,被28号証被29号証で示したとおり,2013年5月度の平均速度が時速72キロメートルを超えている。なお,規制速度を大きく超過した速度で車両が流れている道路区間は,この道路区間だけではない。

私は,運転免許を取得して30年弱,これまでの運転距離は30万キロを越える。運転距離のうち約10万キロメートルは,北海道で走行したものである。そして私は,運転には極めて慎重である。しかしながら,1時間も運転したなら,いつも数え切れない道路区間で規制速度を超過する。ただし,私は公の場所でそのことを口にすることはできない。なぜなら,速度違反を交通事故の原因に直結させてしまう人たちが多く存在し,それが世論となっているからである。

死亡事故激増

そして,この世論を形成する原動力が警察広報であることは,明白である。具体的には,県内のあらゆる道路に設置された「死亡事故多発」「緊急対策実施中」の電光掲示板。テレビやラジオでは,「交通ルールを守りましょう」。警察施設に貼られたポスターでは,「交通違反は犯罪」。これら交通安全スローガンのうち,「死亡事故多発」を代表に,警察広報では重篤な事故が多発が強調されている。

交通安全スローガンのみならず,警察庁が発表する交通事故統計においても,重篤な事故の多発が強調されている。また,交通事故統計は,警察白書にも掲載される。さらに,警察庁は,交通事故統計を,内閣府の政策会議である中央交通安全対策会議に,関係省庁(警察庁)の基本計画構成ともに提出している。そして内閣府は,警察白書とは別に,交通安全白書を発行している。

ちなみに,第9次交通安全基本計画の専門委員会の座長は太田勝俊氏である。太田勝俊氏は被告人控訴趣意書一の第2にも記したとおり,「規制速度決定の在り方に関する調査研究」と「交通事故抑止に資する取締り・速度規制等の在り方に関する懇談会」の筆頭委員を勤めている。

以上の通り,警察庁がまとめる交通事故統計は,国が,道路交通の状況を評価し,交通安全基本計画を策定する材料となっている。春と秋に全国交通安全運動が開催される根拠も交通安全基本計画にある。しかしながら,交通事故統計の受傷程度を詳しくみれば「悲惨な事故」は多発していないことが明らかとなる。

被63号証は,平成25年警察白書138ページ目の写しである。当該ページ中の図3-1は,単位の異なる数値がひとつの図表に描かれている。警察庁の意図はさておき,結果,死者数が大きく見えるような加工となっている。

fig_stats01

被63号証には,単なる死亡事故だけでなく,30日以内の死者数も加えられているが,1970(S45)年から重症者と軽症者が分類統計されているにもかかわらず,グラフには織り込まれていない。

そこで被64号証においては,単位をそろえ,また,受傷程度別負傷者数(重傷者数と軽症者数)がわかるようにした。なお,重傷者数と軽症者数は,総務省統計局がwebサイト上に公開している交通事故の発生状況から取得した。なお,総務省は独自に交通事故を統計しておらず,総務省の交通事故発生状況の基データは,警察庁の交通事故統計である。

交通事故発生数・死傷者数の推移

被64号証によれば,直近の20年間において,人身事故による負傷者の90%以上が軽症者で占められていることがわかる。そして,2008(H20)年以降における,軽症者の占有率は94%を越えている。

次に甲65の1号証から甲65の3号証で,軽傷者数・重傷者数・死者数を別々の表にした。ただし,グラフの変動を見やすくするために単位は揃えていない。

受傷類型別グラフ

ここではっきりするのは,2000(H12)-2005(H17)年にかけて事故発生件数がピークを示した原因は,軽傷事故の増加が原因である,ということだ。

さらに,被65の3号証のグラフに事故統計に大きな影響を与える法令改正を加え,被66号証とした。

軽症者が増加した背景

被66号証中,統計上の交通事故件数と取締りの在り方に影響を与える法改正

交通反則通告制度
国は,軽微な交通違反を反則切符で処理できるようにした。
特例書式による事故処理
国は,被害者の傷害程度が約3ヶ月以下なら,簡便な特例様式で事故処理をできるようした。
交通安全対策特別交付金制度
国は,交通反則通告制度によって集められた反則金が警察の予算に流れるようした。
簡約特例書式による事故処理
国は,診断書上の加療機関が2週間以内なら,特例様式より簡便な書式で事故処理ができるようした。簡約特定書式は,警察官がチェックを入れて,当事者に署名させれば完成する程度である。

以上のとおり,多発しているのは「悲惨な事故」ではなく軽症事故である。そして,軽症事故が増加していた最大の要因は,交通事故を処理する事務の変化にあることが容易に予想できる。

異常な人身事故件数

なお,わが国は出来高払いの医療制度を採用しているため,整形外科で「痛い」と主張すれば怪我がなくても診断書は必ず手に入り,間をあけて2回いけば,自動的にその間が加療期間になる。一方,加害側が医者の診断書に対抗することは不可能である。それゆえ,簡約特例は,医師の診断書を悪用したゆすり行為を助長するおそれがあると言わざるを得ない。そして,被67号証に示すとおり,日本の人身事故件数は異常な数字を示している。

被67号証では,車両の走行キロで除すことによって,道路延長と車両台数を平準化している。その上で,日本の人身事故件数が他国に比較して2倍以上を示すのは,あまりに多くの軽症事故が日本の交通事故統計に計上されているからである。重篤な事故が多発しているからではない。それなのに,「死亡事故急増」「重大事故多発」といった,重篤事故の多発を強調した看板が,人々に交通事故の恐怖を植えつけている。

冒頭に申し上げたように,速度違反が多くの道路区間で常態化しているとしても,それを公言できないのは,恐怖に訴える警察広報によって,道路社会の現実をよく知らない運転者らが,恐怖を取り除く手段として,警察に期待を寄せるからだ。そして,交通安全という大儀に対し,交通違反者の意見はまったく説得力を持たない。だから,誰も本当のことを言えないのである。

ところで,2009年(H21)10月29日,警察庁は,「より合理的な交通規制の推進について」と題する通達(警察庁丙規発第24号,丙交企発第144号,丙交指発第38号)を都道府県警察に通達した。そこには,次のように記してある。

交通規制は,道路における危険を防止し,その他交通の安全と円滑を図り,又は交通公害その他の道路の交通に起因する障害を防止するために行われるものであるが,実施後の道路交通環境の変化等により現場の交通実態に適合しなくなったものを放置することは,交通の安全の確保等の本来意図した目的が達成できなくなるだけでなく,交通規制全般に対する信頼や国民の遵法意識をも損なうことともなりかねない。

国家公安委員長の疑問

そして昨年,当時の国家公安委員長古屋圭司氏(以下「前国家公安委員長」)が「取締りのための取締りになっている傾向がある」「納得のできる取締りにすることが必要」と指摘した≪被5≫。

前述した通達において,「交通規制全般に対する信頼と国民の遵法意識を損なうことにもなりかねない」と示されているとおり,違反者に納得の得られない速度取締りには,順法意識を損ねるおそれがあることは明白である。

本件取締り区間は,被28号証被29号証のとおり,規制速度は平均速度以下となっており,被37号証の通り交通事故は少ない。だから,私は本件速度取締りに納得しない。ただし,速度取締りに対抗する術はないため,仕方なく,私は歩行者の出てくる危険性もない道路区間において,速度取締りに注意しながらの運転を余儀なくされている。つまり,警察の存在を感じたら,速度を落とし,違反状態を警察に見せないようにするのである。

交通違反を犯罪として広報する警察の言葉の定義に従って,私の行動を言い換えると,私は日常的に犯罪を犯しており,警察がいる場所では,自らの犯罪を隠す作業を当然のこととしている。私は,日常的に行なうこの所作によって,私の秩序感覚が毀損されることを強く懸念している。

前述した通達および前国家公安委員長の指摘を鑑みれば,私と同様に速度規制の合理性に疑いを持ち,速度取締りに注意をしながらの運転をする運転者は少なくない状況にあると言わざるを得ない。

私は,交通実態に適合しなくなった交通規制を根拠に前国家公安委員長のいう「取締りのための取締り」が行なわれていることによって,警察庁のいう国民の順法意識の毀損はおろか,国民の秩序感覚がおかしくなっていると感じている。

なお,警察不祥事が続発した2000(H12)年,警察改革の必要性の高まりを受けて警察刷新会議が設置され,同年7月13日に「警察刷新に関する緊急提言」が策定された。同提言中,第1の1の(3)において,「公安委員会に警察の運営を管理する機能が十分に果たされていない」と指摘されたにもかかわらず,いまだ,警察庁にも都道府県警察本部にも,公安委員会の独自スタッフはひとりも存在していない。それどころか,専用の電話回線さえ保有していない。公安委員会に電話をしても,電話に出るのは公安委員会に管理されているはずの警察官である。それゆえ,公安委員会は,独立した組織としての体を為していない,と言わざるを得ない。

このように,国は,警察刷新会議の専門委員が明快に指摘した警察中枢の根本的な問題を14年間も放置している。その一方で,前国家公安委員長に「取締りのための取締り」と指摘されるような国家権力の行使さえ,警察に許している。

殺人や強盗のような重要犯罪と違い,交通事故を自ら起こす人はいない。誰だって交通事故の当事者にはなりたくないのである。それゆえ,道路の社会秩序は,警察の強制力によってもたらされるものではない。法に権威があり,公務員が倫理的であり,個人のモラルが尊重され,そして道路社会の秩序が安定し,その結果として交通事故が少なくなるものである。

本件控訴審においては,健全な社会秩序を育むためにも原審判決の破棄を求める。

以上