弁護士と打合せ1回目

裁判所にはさんざん「弁護人は要らない」と主張したが、思うところあって、国選弁護人を頼ることにした。大きな理由は、過去の刑事訴訟の記録を読み直しながら、裁判官には被告人(私)の言うこと(書類)に耳を傾ける(読む)ことなく、弁護人の出す書類だけで審判が進められたことを実感したからだ。

端的なのは控訴審だった。私は、自ら作成した控訴趣意書を、弁護人が作成した控訴趣意書とは別に提出した。しかし、東京高裁の中川武隆裁判官の判決文においては、たったのひとことさえ被告人控訴趣意書に触れておらず、かつ、被告人控訴趣意書において被告人が主張する内容に関する検討もいっさい存在しなかった。

また中川武隆裁判官は、公判一回目において、被告人に名前と住所などを言わせ、被告人が手を挙げて「(発言)よろしいですか?」と尋ねてもこれを認めず、わずか5分程度で終了した。そして公判2回目には、判決文が読み上げられるだけであった。

法令や慣例上は、何ら中川裁判官の責を咎めることはできないのかもしれないが、法曹だけで進行が進められた控訴審に対して、私は疎外感を痛感させられた。自分の刑事責任が追求される作業であるにもかかわらず、それに参加させてもらえず、まるで遠い世界のできごとであるかのようにさえ感じられたのである。

今回の刑事裁判において、もし、被告人(私)が国選弁護人を拒絶し、何の打ち合わせをせずにその国選弁護人が当日やってきても、被告人はそれを拒絶することができない。そして、裁判所は、被告人の主張より、弁護人の主張で審判を進めてしまうかもしれない。だから、私は、国選弁護人に2度目のコンタクトを取り、打ち合わせに臨んだ。

もっとも気になっている検察の求刑について、意見を聞いたところ、弁護人の答えは「実刑4ヶ月があり得る」とのこと。私のヨミは、検察と裁判所の心象を悪くし、かつ、2006年に業務上過失傷害事件で禁固1年執行猶予3年の前科があることを加味し、さらに法廷侮辱罪で退廷させられる寸前まで法廷で自己主張をし、検察と裁判所の批判をしたうえでの最悪の求刑予想が実刑2ヶ月だった。それよりも2ヶ月多い4ヶ月とは・・・。

もともと、個人の損得ではなく、「本当のことが言える社会」のために争っているつもりだったし、刑務所に入れられることが、かえって裁判目的を達成する可能性に繋がるとも思っていた。だから、気を取り直して、私が検察に提出した上申書を元に打ち合わせを続けた。

「我が国の刑事裁判はかなり絶望的である」

30年前に刑事法学の権威が刑事裁判をこのように批判し、

「日本の刑事司法は中世だ」

昨年の国連の拷問禁止委員会では、こう指摘され、日本の大使の対応のマズさも話題となった。

そして今年は、袴田氏が死刑台から生還したことで、今までになく刑事司法の問題に目が向けられている。

私はこうした話題を持ち出し、刑事司法が変革の可能性が高まっていることから、変革の可能性を賭けて争う価値がある、と弁護人に主張したが、弁護人はあっさり否定した。

次回の打ち合わせまでに、上申書のどれを主張するかを決めることが私の宿題となった。

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執筆者プロフィール

野村 一也
ライター
 創世カウンシル代表

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