大島隆明裁判長は公正な証拠評価をするか?

裁判所の手続きを国民の監視下におくことによって、司法の公正な運用を保証する。そのために裁判は公開され、誰もが傍聴できる。しかし、本当に裁判は公開されているといえるのだろうか。

『弁論主義』を掲げていながら、実際には、準備書面という書類のやり取りが行われ、出廷した訴訟関係人は「準備書面の通りです」と言うだけだ。いったい何が弁論されたのかは、傍聴しても分かりやしない。

刑事裁判においては、国家が収集した証拠を検察が保有し、その中から有罪にするために必要な証拠をセレクトして法廷に提出する。一方、被告人の弁護士は一般の人よりはアクセスできる情報は多いものの、強制的な方法さえ許される捜査機関の権限に比較すると、力の差は歴然としている。

現在、全証拠開示の課題が法務省と検察に突きつけられている。そうなった原因は、取調べの可視化がなされていないことと併せて、検察が証拠を独占することが冤罪の温床となっているからだ。

ところで、全証拠開示のテーマ以外に、証拠の扱いに関する大きな問題がある。それは弁護士と打合せ3回目にも示したとおり、被告人側が用意した証拠を、検察が理由なく不同意にできることだ。もちろん、互いの証拠に対し、それぞれ同意/不同意の意見を言える点は平等である。しかし、検察の証拠に対し、被告人が不同意としても、刑訴訟法323条によって、その多くが採用される。一方、被告人側の証拠に対し、検察が不同意した場合、裁判所はそれを慣例的に不採用としている。こんな不公平が条文化されているのに、それが問題として取り上げられた形跡は残念ながら見つけられない。

私の経験と高知白バイ事件の推移を読む限り、被告人側が一縷の望みを託して提出した証拠も、検察は理由を沿えずに不同意し、そして、裁判官は、検察が不同意した証拠を不採用にして放置している。こうした作業が当然のように行われ、その結果が99%を超える有罪率である。

「事実の認定は証拠による」

刑事訴訟法第317条に条文化されたこの規定により、証拠のない事実を裁判所が認定することはない。これに裁判官が実施する証拠の取捨選択を足し、法曹関係者の“お約束”を無視して一般的な言葉にすると次のようになる。

「裁判所の認定する事実は、裁判官が取捨選択した証拠に基づく」

我が国の刑事司法はかなり絶望的である

平野氏の書籍「日本の裁判所は有罪を認定するだけの所である」

「我が国の刑事司法はかなり絶望的である」

平野龍一氏が裁判所を痛烈に批判してから既に30余年が経つが、司法の根本はなにも変わっていない。

裁判劇場

カタチだけの対審検察と被告側に圧倒的な力の差があり、刑訴法323条に事実上の公務員無謬(むびゅう)が条文化され、刑訴法318条はさておき、現実として裁判官が不公平な証拠の取捨選択を行っているにも係らず、法廷には、検察と被告がまるで対等であるかのように席が配置される。

「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ」

日本国憲法第82条に規定された『対審』が法廷における席位置の根拠である。ただ席位置を対等に見せただけで、裁判官らの双方の証拠の扱い方は、とうてい『対等』とはいえない。

それから、刑事裁判の1審で弁護士と打ち合わせをしている際に気付かされたことがある。それは、裁判官は法廷に出される書類と人証だけを材料にして判決を行う。だから、刑事事件で反省のポーズをとりながら、同じ裁判所の別の法廷で刑事司法を批判しても、その2面性が指摘されることはないらしい。

宣 誓

良心に従って真実を述べ、
何事も隠さず、
偽りを述べないことを誓います。

それなら、裁判官の前では、損得勘定に基づく供述を行い、一歩法廷を出れば、ペロリと舌を出す刑事被告人がいるのは当然だろう。そうすると、キリスト教徒でもないのに、宣誓をさせられることが滑稽にさえ思えてくる。

拷問まがいのやり方で自白を共用してきたことが冤罪を生む第一の要因とされているが、供述調書あるいは人証を大きな判断材料としている点は、裁判所も同じなのである。

裁判官の仕事量の限界を考えれば、法廷内だけの情報で処理するのは、仕方のないことかもしれない。しかしながら、そんな上っ面の材料だけで司法判断が行われているのなら、聖者然とした裁判官の権威演出はやり過ぎだろう。

また、単なる「裁判所の認定」をまるで「(揺るぎない)事実」であるかのように扱う報道は、権力暴走の制御システムが機能不全に陥ることを幇助してきたといってよいだろう。自ら法廷に足を運ぶ記者においても、証人尋問の様子を裏窓趣味的に扱う程度がほとんどである。

以上のとおり、人証を除けば、法廷が公開される理由に見合った情報はいっさい公開されていない。公開されているのは、勇ましい検察の冒頭陳述と損得勘定に基づく関係者の供述程度だ。

そして、報道されるのは、裁判所の判決文程度のばかりだ。少し踏み込んだ記事も、事実認定プロセスをちゃんと評価したものは皆無に等しい。

一方、大多数の傍聴人が見たがるのは、裏窓趣味な事件ばかりだ。大事件はさておき、芸能人が関わる事件、わいせつ事件ばかりに傍聴人が集まる現実が「司法の公正な運用」に寄与するわけがないのである。

事件の報道を織り込んで計画・実行される犯罪を『劇場型犯罪』という。一方、刑事事件に対し開催される法廷は『裁判劇場』そのものであるとの評価を禁じえない。そうして『裁判劇場』は今日も公開され、そこで何を見たいのか、傍聴人の品格が問われている。

控訴審公判3回目の前に

12月19日(金)午後1時半、東京高等裁判所の法廷で控訴審公判3回目が開催される。裁判体は、大島隆明氏を裁判長とする第8刑事部の裁判官3人で構成される。

情報を整理するため、また、公判3回目を『裁判劇場』にさせないために、これまでの裁判を整理した。